その日《りんじ休業》だった

今日から阪神ナゴヤドーム。首位中日とゲーム差4での3連戦。

まあ、そんな熱烈な阪神ファンというわけではありません。

勝った負けたで一喜一憂することもないです。

二喜二憂する程度で。

周りは三喜三憂レベルが普通ですから可愛いもんだと思うてます。

しかし、今期はナゴヤドームで8戦全敗という戦績、嫌な感じはあります。


85年の優勝の前からの阪神ファンには、「思い出すのも嫌だけど忘れられない」という鳳啓介のような

試合があります。

巨人の星』でも漫画化された試合です。

今日はそのことを記事にして、今日からの中日戦の厄落としをしたいと思います。


73年は鶴橋。環境庁の日本の香り百選で大阪代表となった鶴橋におりました。

・・・未だに、環境庁の「香り百選」の企画の意味がわからんです。


1973年10月21日の朝。

なじみの中華の親父が早くから何かを作っていた。

 >おっちゃん、何?仕込みやないようやし。

 >今日な、阪神が優勝するから、明日からの優勝記念の餃子無料券作ってんねん。

 >おっちゃんも頑張るなぁ。そや、きょう巨人倒して優勝やな。

 >兄ちゃんも、食べにおいでや。

 >うん、連れ誘って来るわ。

 >待ってまっせ~~~!


その時、僕らは事態を甘く考えていたのかも知れない。

本来なら前日の20日、中日を倒して優勝し、この日の試合は単なる消化試合となり、甲子園凱旋となる

はずだった。しかし、その中日戦を2-4で負けた。

中日先発は星野仙一阪神は大エース、江夏豊で負けた。

しかし、能天気な僕らは、根拠もなくもう優勝した気分でいた。


話が違った。


甲子園の巨人戦は、ゲームが始まったときからエライ事になっていた。

初回から5回まで毎回失点で0対8。

そして、試合は結局0対9で終わり、巨人がヘロヘロになりながらもV9を達成した。

試合は終わった。しかし…

怒った阪神ファンは、球場になだれ込み、巨人ベンチを襲撃。街ではタクシーが壊されもした。


翌22日。


親父の店は開いてなかった。


≪りんじ休業≫


殴り書きの貼紙がヒラヒラしとった。