らーめん

        どのように煮えたぎったお湯を注いでも
 
      すこしばかり時間に余裕を持たせても

      コマーシャルのように

      卵は固まらないのだ

      JAROに言ってみるべきであろうか?

      そういう問題ではないのか?

     チキンラーメンを食すたびに考えてしまうのだ(2006.8.23)

こんな事をブログはじめた頃に書いてた。

今日もチキンラーメンを食いながら同じ事を思った。

大阪では11年ぶりとかいう雪をぼぉ~っと眺めながら、ボソボソと食ってたりする。


ご当地ラーメンというのがある。

大阪のそれは間違いなく「チキンラーメン」になるだろう。

よくよく考えてみると、私が初めて食ったラーメンは「チキンラーメン」のように思う。

どんだけ記憶をひっくり返しても、小さい頃中華でラーメンを食った覚えがないのだ。

初めてのラーメンがインスタント、というのが良い悪いはともかく、そうした時代を生きてきたわけだ。

どちらにしても、ラーメンの記憶は大きくなってからのものしかない。


どちらかというと、普通の中華で食うラーメンの方が好きだ。

上手い、不味いにかかわらず。



ところで、カップードル


ちょっと前に、インスタントラーメンのことネットで調べてたらあった。

発売時にはだけ小文字にしていたそうだ。

その当時「ヌードル」という言葉はほとんど使われてもいなかったので、どこかのアホが「ヌードル」の

ヌードだけを見て、興奮して買ってしまう恐れがあったからだという。

そんな奴はおらんやろ?と思ったけど。

前にも書いたけど、岩波文庫の『妾の生涯』を「メメめかけの生涯!これぜったいにヤラシイど!」

と勝手に興奮して買ったアホ中学生がいたから、ヌードルもまんざらあり得ん話でもなさそうだ。


雪の夜とカップヌードル

カップヌードルを決定的に印象づけたのは、浅間山荘事件で機動隊が食っている姿だった。


嫌な事を思い出した。


そんだけ。