片づける

 
爺さん&婆さんの遺品を片づけんといかんのやけど、一向に進んでない。

一つ一つに思い入れがあって、なかなか処理できないというわけでもないのやけど。

爺さんは、最後の方では何かと不穏な行動もあったので、どこに何が入ってるかいちいち確認せんと、い

ろんな所から腰抜かすようなものが出てくる。

・・・大きな金は出てこんけど。

婆さんの方は未だに手つかずのまま。



岩田宏さんの詩に『住所とギョウザ』がある。

その中の一節・・・おれはリイ君が好きやった  リイ君はおれが好きやったか・・・

この一節が好きで、若い頃から時々思い出す。



生き残った人達は言う。

「兄ちゃん、ようやったなぁ。二人とも喜んでるで間違いなく」のような事を。

それは、生き残った者の理屈であって、死んだ者がどう思うてたかはわからん。

そやから・・・おれは二人が好きやった 二人は俺が好きやったか・・・と自問する。

片づけていると胸が痛む。

思い出は胸が痛いくらいがちょうどええのや思う。

両親以外でも、胸痛なる思い出はある。

自分が消えるまで自問するのだ。


・・・おれはリイ君が好きやった  リイ君はおれが好きやったか・・・



それくらいしか、自分の気持ちをあらわす手立てを知らん。




  しんじつ ひとは たへがたし

  まことあるもの なほさびし

  ひととうまれし なほかなしかれ



北原白秋辻潤に贈った詩だと、最近知った。




そんだけ。