スノウホワイト

諸星大二郎の新刊が出てた。

『グリムのような物語 スノウホワイト』(東京創元社)。

『マッドメン』と『孔子暗黒伝』しか読んでないけど、いつも気になってる作家だ。

この頃はどんな世界になっているのか読んでみたいと思った。

先だって亡くなられたが、白川静の『孔子伝』に入るきっかけになったのも諸星の『孔子暗黒伝』だ。

諸星があまりに面白かったので巻末にある参考図書を適当に読んでる中に、白川本があったのだ。

この二冊の何が面白かったか?

うまい事書けないけど、まったく成り立ちの違う世界があったという事を教えてくれた本。

そんな感じだ。


白川静の『文字遊心』の中に「狂字論」がある。

ここで、白川は書経の「これ聖なるも念(おもう)ことなくんばすなわち狂となり、これ狂なるもよく念

(おもう)ときすなはち聖となる」を引用し、こう指摘する。

「聖」と「狂」が一つの円環の上にある。「聖」の足元に「狂」はあり、「狂」はまた「聖」への可能性

を秘めている。

孔子は「狂」についてこう書く。

「古の狂や肆(し)、今の狂や蕩(とう)」(論語/陽貨篇)

昔の狂は型にとらわれないことだったが、今の狂はただのデタラメ。

この解釈もいろいろあるようだが。

すでに孔子の時代に「聖」を見出せないどころか「狂」も堕落したという認識があったという事か。

現在では「聖」も「狂」も円環上になく、「俗」というものに吸収されたような具合だ。

「俗」に吸収された「聖」をオカルトとしていいのかも知れん。


また話がずれた。