ごりがん

   
病院の付き添いは、けっこう本が読めるから悪くはない。昨日から4打席連続で付き添いが続くのだ。

今日は、『関西人』(足立巻一)を読んでた。

これは、NONAJUNさんの記事『スーパー・マーケットの天皇大江健三郎と中内ダイエーの敗戦後』で教


NONAJUNさんは古書で手に入れられたようだが、さすがは大阪。歩いて5分の区立図書館にあった。

1968年、弘文堂新社発行となっている。


上の記事でも紹介された『戦闘的流通革命者・ダイエー社長中内功』はまだ読んでない。

それより、著者の足立巻一とも関連のある記事が目に入ったので、そっちを先に読んだ。

『関西人』の中の『ごりがん・「立川文庫」の生き残り池田蘭子』。

何でかというと、足立巻一は『立川文庫の英雄たち』という面白い本を書いているのだ。


「ごりがん」はもう死んでしまっただろう関西言葉で偏屈とか頑固というような意味。

ごり押しするがんこ者で「ごりかん」という説もあるらしい。


この池田蘭子がまとめた体験記『女紋』が舞台化されることになった時のやりとりがある。

相手は菊田一夫です。

「伊知をみにくい少女にしようと思ってるんですが・・・」

「そんならヤメにします。わたしは若いときはずっと美しかったんです」

そして、用意してきたアルバムをつきつけた。世なれた演出家も、これにはおそれいったらしい。

「では、足がわるいのはよろしいか?」

「それ、かまいまへん。じっさいに歩けなんだったんですさかい」

ところが、初日の前夜の舞台稽古を見て、おばあちゃんはたまげて、ボヤいた。

「まるでイザリでんがな!」

結局、『女紋』プログラム1頁の「ご挨拶」で菊田一夫はこう書いたそうだ。

「・・・劇中では終幕まで、その脚の怪我は直っていませんが、実際の伊知さんこと蘭子さんは、今は脚

の不自由さも癒り、昔はさぞ美しかったであろう…と当時をしのばせる面影の持主です」と。


生活的な意味での苦労は相当なもんだったけど、「私はちっとも悲しいことおまへんねん。過ぎた日のこ

とは考えんことにしてますさかい」と言ってしまう人だ。

どうも私はこういう姿勢の人ばっかりが好きな気がする。

足立巻一も池田蘭子とは、立川文庫の取材で出会ったわけだが、途中から彼女そのものに関心が移ったと

いうのもわかる気がする。


立川文庫」は、もう無くなってしまったけど、ミナミの駸々堂辺りが出版の街だった頃(神田みたい

に)の出版物で、猿飛佐助、真田幸村塚原卜伝石川五右衛門…とご存知のヒーローの生みの親です。

大正時代、出版はまだ東京集中ではなかったです。大阪は何しろ近松西鶴の街ですので。

足立巻一の『立川文庫の英雄たち』と『やちまた』については落ち着いたら書いてみたい思います。


そんだけです。