タブチくんの悲しみ

 
え~、阪神の田淵選手は1968年のドラフト1位です。

新人王、本塁打王 1回、ベストナイン 5回、ゴールデングラブ賞 2回、オールスター選出 11回…。

で通算474本のホームラン。この人抜きで、阪神を語ることは出来ない人です。

ホームラン王ゆうても、王がスランプやった年やんけェと突っ込まないでね。

絵的には、田淵がサヨナラ・ホームラン打った、翌日のスポーツ紙の一面が記憶にあります。

腹巻き、白シャツ、タオル鉢巻のオッチャンが、田淵と一緒にバンザイしながらホームインしてるってい

うのも。

王がサヨナラ打った時の一面。同じ光景も、こちらはYシャツ、ネクタイのサラリーマンでしたので…。

いつの事かは、思い出せませんが。


この頃、アルバイトしてた会社。

そこに、新入社員で入ってきたのが、田淵くんでした。

そこは、野球が好きな人が多く、チームを作ってました。その名も「乱神タイガース」いいました。

名前が一緒ってだけで、田淵クンは有望新人として扱われました。

ユニフォームは当然縦じま。

田淵くんの背番号は22番。名前はTABUCHI。

ユニフォームで歩くと、子供たちに「タブチや」「タブチがおる」とからかわれてました。

 …このタブチ。大阪では「ブ」をつよく発音します。タチです。

しかし、このタブチ君は、晩年の田淵とソックリの体型で、しかも極端に運動能力のない人でした。

 …江夏、田淵、遠井たちで阪神部屋と呼ばれてた時がありました。

それが原因かどうかは知りません。

ある日、タブチ君は遠い所に転勤となり、いなくなってしまいました。

子供にタブチやタブチやと付きまとわれ、顔を真っ赤にして、大きな体でうつむきながら歩くタブチ君。

仕事は真面目な人でした。

そんだけ。


ところで、だんでぃ・・・オレは待ってるぜ!