不始末
記事で、「節約する」という意味合いで「始末する」と書いた。
そういう言い方を、大阪はするから、あまり意識せずに書いた。
akihitoさん から、「節約する」という意味での「始末」というのは、東京にはないと教えてもうた。
「始末する」は、東京ではゴルゴ13的な意味合いを持ってしまうらしい。
そうなると、節約家を始末屋なんて大阪では言ったりする。例えば、「あいつなぁ、ああ見えてもけっこ
う始末屋やねんで」なんて言い方をする。
これを東京の人が「あいつは、ああ見えても、ゴルゴ13なんだよ」と誤変換するとしたら、難しい交渉
事もはかどるかも知らん。
ところで、ゴルゴ13の生まれ故郷は、大阪の十三(じゅうそう)ではないかと思っている。
AERA創刊時に連載されていた『亜江良十三』の生まれが十三となっていたのだ。
もちろん、さいとうたかお、が書いたてたものだ。
いつもの様に話を戻して。
「自分の始末は自分でつけろ」という言い方がある。
これは、大阪ではもの凄くわかりやすい言い方になる。
こう・・・「自分のケツは、自分で拭けや!」。
そういえば、博多では「しまやかしたろか!」というのがある。
「始末してやろうか!」という意味だろう。
「自分のケツは、自分で拭けや」も「しまやかしたろか!」も言われたことがあったりする。
そういえば、「片付ける」という意味で「始末する」というのもある。
これが、大阪ではヤヤコシイ事になる。
大阪では「これ、片付けておいて」は→「これ、なおしといて」となる。
初めて、この言葉の洗礼を受けた人は「えっ!壊れてませんけど?」と反応する。
もう一つ、「捨てる」という意味で「始末する」もある。
これも、大阪ではヤヤコシイ事になる。
大阪では「これ、捨ててくれる」は→「これ、ほかしてくれる」となる。
初めて、この言葉の洗礼を受けた人は、必ず怒鳴られる運命になる。
「何、放ってんねん」
「えっ!でも放うれって言ったじゃないですか?」
この「始末」の始末がつきそうにもない。
終わろう。
そんだけ。