アダチ竜光

 
桂米朝の『上方芸人誌』を読んでいる。

1976年、朝日新聞社発行。

奥付を見たら、米朝師匠の住所は武庫之荘となっている。

たぶん、今もかわらんと思う。


武庫之荘尼崎市になる。

武庫之荘に住んでる人は、どこに住んでんの?の質問に「武庫之荘」と答え、決して「尼崎」とは言わん

らしい、そんな噂を聞いたことがある。

私の周辺の人間は、尼崎のことを「あまぁ~」という言い方をする。


兵庫県やのに、なぜか電話は大阪局番な尼崎。

蛭子さんの大好きな尼崎競艇

日本一短い直線コースの園田競馬

そうそう、近松門左衛門の墓がある。

「市井に漂(ただよう)て商買(しょうばい)しらず、隠に似て隠にあらず、賢に似て賢ならず、ものし

りに似て何もしらず、世のまがいもの」

近松の辞世の句はエエです→http://homepage2.nifty.com/hay/zisei.html

伊達公子を生んだ園田学園もある。

ダウンタウンは当然で、ちゃらんぽらん、島木譲二、TAMAYOもそうだ。

江夏豊は尼崎でぶいぶい言わせてたみたいで、後のプロレスラー、マイティ井上も恐れてたらしい。


話が変ってる。

わかぎゑふさんが、初めて米朝師匠にインタビューした時のこと。

インタビュー終了後、米朝師匠と歩いていると、そこいらの公園で立ち止まり、どっこいしょと公園の芝

生に腰を下ろした師匠は、弟子に缶ビールを買いにやらせ、わかぎゑふさんに、あらためて話しかけたと

言う。そんな人のようだ。


別れ際の言葉が「今度はちゃんとした店で呑みましょう」ってプロの酒飲みやなぁ。


完全に話が変ってる。

アダチ竜光という手品師の事を、米朝師匠が書いている。

「竜光師匠は、手品で出て、二十分間しゃべるだけしゃべって、手品をひとつもやらずに下りてきたりす

る・・・ところがそれだけでお客をワァワァ笑わしている」

そんな具合な事が書いてある。

アダチ竜光は、小さい頃はお馴染みの人だ。

テレビでも演芸場でも見たことある。


桂米朝の『上方芸人誌』には、ほかにもいろんな芸人が登場してくる。

「芸」だけやのうて、生きてることも「芸」みたいな人ばっかりや。

今の芸人の人たちは、あんまし真面目にみてないからようわからん。

それよりも、何かを作ったり、生んだりする力もないから、せめて生きてることが「芸」やったという所

でやって行きたい思うたりする。


そんだけ。