アダチ竜光
1976年、朝日新聞社発行。
たぶん、今もかわらんと思う。
らしい、そんな噂を聞いたことがある。
私の周辺の人間は、尼崎のことを「あまぁ~」という言い方をする。
兵庫県やのに、なぜか電話は大阪局番な尼崎。
蛭子さんの大好きな尼崎競艇。
日本一短い直線コースの園田競馬。
そうそう、近松門左衛門の墓がある。
「市井に漂(ただよう)て商買(しょうばい)しらず、隠に似て隠にあらず、賢に似て賢ならず、ものし
りに似て何もしらず、世のまがいもの」
話が変ってる。
インタビュー終了後、米朝師匠と歩いていると、そこいらの公園で立ち止まり、どっこいしょと公園の芝
生に腰を下ろした師匠は、弟子に缶ビールを買いにやらせ、わかぎゑふさんに、あらためて話しかけたと
言う。そんな人のようだ。
別れ際の言葉が「今度はちゃんとした店で呑みましょう」ってプロの酒飲みやなぁ。
完全に話が変ってる。
アダチ竜光という手品師の事を、米朝師匠が書いている。
「竜光師匠は、手品で出て、二十分間しゃべるだけしゃべって、手品をひとつもやらずに下りてきたりす
る・・・ところがそれだけでお客をワァワァ笑わしている」
そんな具合な事が書いてある。
アダチ竜光は、小さい頃はお馴染みの人だ。
テレビでも演芸場でも見たことある。
桂米朝の『上方芸人誌』には、ほかにもいろんな芸人が登場してくる。
「芸」だけやのうて、生きてることも「芸」みたいな人ばっかりや。
今の芸人の人たちは、あんまし真面目にみてないからようわからん。
それよりも、何かを作ったり、生んだりする力もないから、せめて生きてることが「芸」やったという所
でやって行きたい思うたりする。
そんだけ。