健やか

 
有吉佐和子の『恍惚の人』は1972年の作品。

ここで、登場する医者は、「恍惚の人」となった茂造について、こんなふうに言ったりしている。

「大分戻られたようですね。」

まぁ、そんなんや思う。


この頃は、まだ「痴呆症」ゆうてたわけです。

認知症」と替えることに、何があったのかは知らんです。

近頃の人は、賢くなってきたから、実体を変えるより、言葉を替える方が楽な事知ってますから。

それはそれとして、確実に言えることは、年寄りが増えたということ。

これは間違いない話や。


介護についての、体験や指導やマニュアルみたいなのは、だいたい似ている。

  規則正しい生活を送らせる。

  寝たきりにさせない。

  なるべく、オムツははずす。

どれもこれもが、「健やかな老後を送るために!」というような感じです。


なんか、面倒見る方に対して、「あなたね、この人の老後が健やかでないと、ロクなことにならないから

ネ!」と脅かしていてる感じがする。

私も気ぃの小さい人間やから、「健やか」にしたらなアカンとビビッてしまいます。


「健やかな老後」。

サッサと動いて、テキパキ働く、そんな、街の速度に追いつけるなら、隅っこの方に居てもいいけど、無

理なら退いててちょうだい。そんな具合な感じがせんでもない。

ようするに「健やか」であるかどうかは、本人でなくて、こちら側の理由である気がする。


ところで、寝たきりの婆さんが「豆腐が食いたい」と言ったりする。

持っていた3千円で、豆腐を買えるだけ買ってきたのが、小さな子供やったら、老婆を思うあまりの、笑

い話となるだろうし、可愛くて優しい子やなぁ、なんてことになるのかも知らん。

だけど、90過ぎた爺さんが、同じ事をしたら、世間は必ずこう言う。

呆けてはるんとちゃう?


「何したらいい?」と思っている、年寄りに対しての答えは、ほぼ同じや。

「なにもせんでいい、考えんでいい、そやから健やかに暮らせ」だ。

その為に、デイサービスだとかショートスティといった、中途半端に小出しにされた「福祉サービス」が

あったりもするわけやろけど。


でも、そら、無理やろ思う。

身につけて来た物を、脱ぎ捨てて行くのは普通のことや。

こんなヤヤコシイ世の中で、「人間」である為の約束事を、最後の最後まで脱ぎもせんと、死んでいく事

の方が悲しいし、寂しい気がする。


そんだけ。