「粉もん」と「旅芸人」

  
 たこやきをたのしむ気分は、欧米列強にならぶ強大な国家をつくろうとした明治の日本人の気概

 から遠い。

 明治をうけつぎ一等国民に自分たちをきたえてゆこうとした大正・昭和戦前・敗戦直後の日本人

 になかった、昭和晩年から平成の日本人のおもしろいところがたこやきにひそんでいるのではな

 かろうか。(中略)平成の真実はたこやきの中にあり。(鶴見俊輔)

                                   -『たこやき』(リブロポート 1993年)熊谷真菜より)


新大阪駅まで行って来たんやけど、少し時間があったので本を買った。

この頃は、歩いて五分の図書館に行くのもままならん。


ところで、NONAJUNさんの最新連載記事「ラーメンと近代文学」は面白かった。

前からモヤモヤしていたことが、スッキリしたというか、道がわかった気がした。


他でもないけど、織田作之助=大阪という。

その織田作が書く、大阪的な食いもんだけど、『夫婦善哉』に出てくるのはこんなのだ。

  柳吉はうまい物に掛けると眼がなくて、「うまいもん屋」へしばしば蝶子を連れて行った。

  彼にいわせると、北にはうまいもんを食わせる店がなく、うまいもんは何といっても南に限る

  そうで、それも一流の店は駄目や、汚いことを言うようだが銭を捨てるだけの話、本真(ほんま)

  にうまいもん食いたかったら、「一ぺん俺の後へ随(つ)いて・・・」行くと、無論一流の店へは

  はいらず、よくて高津(こうづ)の湯豆腐屋、下は夜店のドテ焼き、粕饅頭(かすまんじゅう)

  から、戎橋そごう横「しる市」のどじょう汁と鯨皮汁(ころじる)、道頓堀相合橋東詰(あいおい

  ばしひがしづめ)「出雲屋(いづもや)」のまむし、日本橋「たこ梅」のたこ、法善寺境内「正弁

  丹吾亭(しょうべんたんごてい)」の関東煮(かんとだき)、千日前常盤座横「寿司捨」の鉄火巻

  と鯛の皮の酢味噌、その向い「だるまや」のかやく飯と粕じるなどで、いずれも銭のかからぬいわ

  ば下手もの料理ばかりであった。

 (略) 「ど、ど、ど、どや、うまいやろが、こ、こ、こ、こんなにうまいもんどこイ行ったかて食

  べられへんぜ」という講釈を聞きながら食うと、なるほどうまかった。
  
                                織田作之助夫婦善哉』より

というような具合だ。

くっそぉ~、食いたなってきた。


ん?お馴染みのたこ焼き&お好み焼なんて、どこにも登場してへんやんか!


その辺りを、NONAJUNさんは文学と関連させて書いてはるのだけど、それに刺激されて私も、以前から名

前は知っていた「タコヤキスト」であり、日本粉もん協会会長の熊谷真菜という人の書いた本を読んでみ

ようかと思っていたのだ。


もう一つ引っ掛かってるのは、織田作の「大阪」についてだ。

それについて、前に書いた「オキュバイド・ジャパン」を読んでもらえればと思うのです。



で、話を戻して『「粉もん」庶民の食文化』熊谷真菜朝日新聞社)というのがあったので、買った。


まだ、読んでない。


けど、第5章に「粉もんの地位-代用食の時代とアメリカの小麦戦略」がある。

それと巻末に「粉もん関連年表(日本コナモン協会作成)」があって、敗戦前後の粉もんの状況をきちん

と押さえていた。そんなんで、オモロそうやから買ったのだ。

冒頭の鶴見俊輔の文は、パラパラと本書をめくってたら出くわしたものです。



そうそう、一緒に沖浦和光の『旅芸人のいた風景-遍歴・流浪・渡世』(文春新書)も買った。


新書といえども、新刊買うのもホンマ久し振りでおます。


そんなわけで、記念に大層なタイトルつけたわけであり万年筆。



そんだけ。