血が騒ぐ音

 
やったらアカンことやってしもうたからか?

・・・ん?これは、いつものことやし。

見てはいけないものでも見てしまったのか?

・・・これも、いつだって見たくもないもん無理矢理見せられてるから、ちゃうやろ?

ほんなら、なんぞ悪いモンでも食うたのか?

・・・そないに、腹がビックリするような立派なもん食うた覚えもない。


とにかく、ここしばらくは、何につけても心が動かん。


まぁ、そうゆうこともあるやろから、ええとしよう。


とりあえず、生き急ぐことはあっても、死に急ぐことはない。


「死ぬまで生きる」を目標に長生きしてやるのだ。



ところで、F元君とのボーネン会も来年になってもうた。

F元君は、私が壊れていく所を2007年には見ることが出来ない。

可哀相な奴だ。

ん?一回あったか。


F元君は立派に仕事を持ってるけど、この頃は仕事に加えて、夜勤の仕事をやりはじめた。

別に食うに困っての話でもない。

F元君は昔からそうなのだ。

やりたいことが出てくると、体壊す寸前まで働く。

というか、体を酷使する。

で、ヘロヘロになった時点で、やりたいことがやっぱりやりたい思うたら、やり始めるのだ。

ケモノみたいなやっちゃ。

・・・F元君です。



何かとやりたい事もままならん。

けど、コノ世でこんなんやから、アノ世ではもっとままならんやろなぁ思う。


今は酒飲みながら、けっこうな音量で「音」が聴きたい。

好きなのは、脳内で再生出来る。

聴けてない「音」が聴きたいのだ。


   花も幻 身も夢ばかり

   誰が散るのか 散らすのか

   一期一会のたとえのとおり

   時の流れはとどまらず

   あわれ同胞 心せよ

   仏も昔は凡夫なり

   われらも終には仏なり

   いずれも仏性具せる身を

   隔つるのみこそ悲しけれ

   不肖 井筒屋小石丸

   人の命の供養とて

   唄い綴った一篇を
 
   地蔵和讃になぞらえて

   一生懸命つとめましょう


河内音頭は、京山幸枝若(初代)の『河内百人切り』が好きや。

これは、脳内再生可能だ。


井筒屋小石丸をまだ聴いてへんのだ。

なんとかせなアカン。


いろんな「音」があるけど、今は、血が騒ぐようなのが聴きたいのだ。


それが、井筒屋小石丸の「仏供養地蔵和讃」なのだ。


上の枕の歌詞は、佐々木幹郎が書いたらしい。


そんだけ。



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