しけたん
今はどうか知らんけど、青春出版社の『試験に出る英単語』。
これを「しけ単」と言うてたのだ。
大阪版だけ、しけた英単語を頻度順に並べたわけでもない。
東京に行って、「出る単」と言ってるのに気付いて、へぇ~と思うた。
さすが東京、センスがあるなぁとは思わんかったけど。
たぶん私は「豆単」と「しけ単」の過渡期の世代になると思う。
そんな話に関係なく。
「豆単」の出版元は旺文社。
その旺文社が80年代に文庫を出していた。シリーズ名はそのまんま旺文社文庫だ。
当時はまだ岩波・新潮・角川が文庫の中心だったけど、旺文社文庫は、そうした版元のラインから外れた
作品を重点的に収録していたので、なかなか味のあるシリーズやった。
味のある文庫は他にもあったけど、その話は省略。
ところが、あまり売れなかった。
当時、私は出版に関わる仕事をしていたので(それで東京に行く羽目になったりもした)、書店やら版元
やらの業界の人と酒飲みながら、その原因を話し合った覚えがある。
結論的には、旺文社文庫という名称がアカンのではという所に落ち着いた。
その頃の人は、旺文社に感謝したり、呪ったりしながら必死に勉強した記憶が残っている。だから、「な
んで社会に出てまで、お前のとこの本読まなあかんねん!」という気持ちが強いのではと推測したのだ。
そんな思い出話に関係なく。
あんまり面白かったので、旺文社文庫でもう一冊出ていた『青春の逆説』も読んだ。
『猿飛佐助』を読んでた時期には、森繁の映画『夫婦善哉』は観ていたけど、その映画と織田作は線で結
ばれることはなかった。
その後に、『猿飛佐助』や『夫婦善哉』が戦時中に書かれたことを知った。
「戦争なんかで文学が肩身の狭い思いをしてたまるかい!」という織田作を知った。
これは、●●なんかで文学が肩身の狭い思いしてたまるかい!と●●に何を入れてもなんの問題もない。
文学は文学だ。革命の道具でも、布教の手段でもない。
それから、作文に本当の事を書きなさいと言われて、本当のことなんて書けないからと言って、作文の代
わりに股旅物を書いて出したなんていうエピソードを知った。
そして、古き良き大阪なんてイメージで使われる、織田作の描く大阪なんてどこにもないと知った。
「日本なんて、どうせ、いっぺん亡んだ国や。当たり前ならいま頃は、太平洋の底に沈んでしもうてるは
この「日本」を「大阪」に置き換えてもかわりはない。
織田作の書いてるものが、どこまでなのかはわからないけど、少なくとも織田作は「大阪」の作家という
ことだけではないことはわかる。
<レッツ!デカダンス>
一時期、kobatyouさんが、織田作を読もう的にメッセージを発信し続けていた事を思い出す。
<レッツ!でかい箪笥>
それは、大川栄作。ん?陣内孝則でもええのか。
まとまりなく・・・そんだけ。