『浮浪漫語』
若者中心に流行している「KY(空気読めない)」などローマ字式略語約400語を収集したミニ辞典
「KY式日本語」(大修館書店)が7日、出版される。(読売新聞)とあった。
それはともかく、エベレスト山頂辺りで、周りの空気読む奴にロクな奴はおらんような気がする。
以下は、昨日病院の診察待ちに読んでた、辻潤の『浮浪漫語』からのもの。
『浮浪漫語』は1922年(大正11)の出版。辻潤、38歳。
辻潤はここで みんな好きなように生きるがいい なんて言ってたりする。
「酔生夢死」はしばしば軽侮の意をもって僕のようなヤクザ者の形容詞に用いられてきた。 「国に奉仕し」「社会に貢献し」「人類の愛に目ざめ」「意義ある生活を送り」(など) - というような言葉の正反対が、どうやら「酔生夢死」にあるらしい。 少なくとも自分はこの世の中に自分の意志で生まれてきたのではないらしい。 いくら考えてみてもそうは思われない。しかしまた父母の意志によって生まれてきたものと も思われない。父母は子供を欲しいと思ったかも知れない。しかし生むにしても自分のよう なヤクザ者をわざわざ生みつけようとは思わなかったにちがいない。仏教の説〈ように因縁 ずくで諦めがつけば世話はないが、僕のような低能児にはそんなことではなかなかあきらめ がつきそうもない。生まれてくるといつの問にか前から連続している世の中の色々な種々相 や約束を押しつけられて、否でも応でもその中で生きることを余儀なくせしめられる。 自分の意志や判断がハッキリつかない中にいつの問にか他人の意志を意志として、他人の生 活を生活するようにさせられてしまっている。そして親達は「誰のお蔭で大きくなったのだ と思う」といって恩をきせ、国家はさも国家のお蔭でお前を教育してやった、知識を授けて やったというような顔をして恩にきせる。なる程自分が今迄生きてこられたのは、少なくと も自分のような蒲柳の質の生活カの弱いヤクザ人間が生きておられたのはまったく自分以外 の人々のお蔭だということは這わかりはするが、僕は別段これを自分の意志からお願いした 覚えは毛頭ないのである。 つまり、よってたかって自分を今のような自分に作りあげてくれたまでである。僕は、むしろ それをありがた迷惑だと思い、大きなお世話だと思ったところで、別段、なんの差し支えもな さそうである。まして「酔生夢死」を望むような心持ちにさせたのは全体、何人の仕業なので あろうか?考えてみるとなんとなくわけがわからなくなってしまうのである。 -『浮浪漫語』より