辻潤と周辺

すぎゆくアダモ

『すぎゆくアダモ』は辻まことの遺作。 古本でも、辻まことの本を見かけることは多いですが、なかなかの値段です。 そんな中、出版社の未知谷から『すぎゆくアダモ』が復刻されました。 先に、同じく未知谷から『辻まことマジック』を出された、琴海倫さん…

『辻まことマジック』

琴海倫さんの『辻まことマジック』(出版・未知谷)を再読した。 最初に読んだ時は、よっしゃぁ!西木正明の『夢幻の山脈』を蹴飛ばすよ うなんが出たぞ!と思うた。 例えば、伊藤ルイさんの手記『海の歌う日―大杉栄・伊藤野枝へ--ルイ ズより 』は、伊藤ル…

松風はわれらが笛や長福寺

辻まことの墓は福島県の長福寺にあります。 辻まことの遺言は「墓不要」でありましたが、草野心平など友人たちが「こんな小さい墓であれば、そし て彼の愛したこの長福寺の境内であれば彼も許してくれるだろう」と建てられたそうです。 本当に小さい墓です。…

辻 潤 の 酒

酒でも飯でも一気に頂点を目指すような飲み方、食べ方です。 知り合いの中には、何時間もかけて食って飲んで喋ってというのもおりますけど、あれが出来んです。 この頃の酒が大人しいのは、歳で頂点に行く前に体がついて行かんようになったからや思います。 …

発見された日

「それがです、例の一件コノカタというもの、一通りや二通りのショゲ方ではなく…日に二度食べる御飯 ですら、辛うじてノドへ通るか通らないかという有様で、型の如くエンセイヒカン…その意気地のなさ加 減と来たら、実にもってお話のホカです」(辻潤「のん…

潤とまこと

昭和3年(1928)、潤が45歳、まこと15歳。 辻潤は、読売新聞第一回巴里特置員として神戸港から「榛名丸」にて渡仏。 特派員でなく、特置員。 まことは、静岡工業学校を中退し同行。 渡仏同行は画家志望だったまことの希望。パリでまことは山本夏彦を知…

大正12年9月16日

僕角帯をしめ、野枝さん丸髷に赤き手柄をかけ、黒襟の衣物を着し、三味線をひき、怪し気なる 唄をうたったが、一躍して婦人解放運動者となり、アナーキストとなって一代の風雲児と稀有な る天災の最中、悲劇的の最後を遂げたるはまことに悲惨である。惜しむ…

正しい世界

郵便受けの中のチラシ。 あなたを正しい世界に導きます!というのが入ってた。 当の人間は、憧れの的である未来にあるのではなく、現に今ここに生存しているのである。 たとえ僕が如何様にあり、何者であろうとも、悦びに溢れていようと、悲しみに閉ざされて…

大正12年9月1日

辻潤 『ふもれすく』より 裸形のまま夢中で風呂屋を飛び出して、風呂屋の前で異様な男女のハダカダンスを一踊りして、そ れでもまた羞恥(ダダはシウチで一杯だ)に引き戻されて、慌てて衣物を取り出してK町のとある 路地の突き当りにある自分の巣まで飛び…

伊藤野枝の手紙

やはりそのころのことだが、いつものように祖母の家に行くと、その日はたまたま詩人で野鳥の研 究家であった中西悟堂さんがみえていて、応接間で祖母と話をしていたことがあった。 横に座ってふたりの話を聞いていると、たまたま話はが辻潤におよんで、晩年…

『まことさんにいわれたこと』

人を取除けてなおあとに価値あるものは、作品を取除けてなおあとに価値ある人間によって、作ら れるような気がする。 辻まことのこの言葉は、父である辻潤のことを意識して書かれていると思っている。 春に「辻潤書画展」に行って、むかし手放してしまった『…

き ょ む

辻潤はたしかに放浪しましたが、放浪と虚無は違うんです。 放浪というのはわがままなんですよね。 自由に生きたい、したいようにしたい。これは虚無でもなんでもない。ただ、わがままなんです。 虚無はそれではないです。虚無はね、一切を捨ててしまう。 『…

はまりすぎ

『虚無思想研究』の第7号(1986.12)に辻潤の写真が掲載されていた。 脇とよという方が同誌に提供された写真。 昭和18年(1943)は、辻潤が亡くなる前年。 この写真を観て、おぉ!と思うたけど、よくよく考えると何か気持ち悪い。 つまり、その、はまりす…

身につけない

辻潤書画展に行って来た。 京都の徳正寺。 阪急の烏丸で降りて歩く。 午後一時からの開催とあったが、早めについてしもうた。 知り合いから喫煙ポイントをきいて行かなかったので、しょうがないからドトールに入る。 ドトールは金太郎飴のように、どこでもド…

五月三十・三十一日

一切は生きている上の話だ・・・いきなり辻の潤さんは書いたりする。 飲み屋で同席したオッサンが同じ事を言っても「何ゆうとんじゃ!アホか!」と言い返すだろう。 辻の潤さんがそういった時、そやなぁ!ホンマになぁ!となるのは、私がこの人を好きやから…

『自分だけの世界』

自分の生きてゆく標準を他に求めないことである。 人は各自自分の物尺によって生きよというのである。 それ以外にはなんの道徳も標準もないのである。 一々聖人や賢人の格言や、お経の文句を引き合に出して来る必要がなくなるのである。 約束や習慣はその時…

道頓堀で号外を読む

「あいつらに殺されてはいかんな。殺され損だよ」 「大逆にしろ、大杉栄にしろ、野枝さんにしろ、殺されてしまう運命に生まれてきたんだ、と思うしかな いよ。ぼくは自分で自分を殺しても、やつらの手は借りないぜ」 これは、高木護の『辻潤「個」に生きる』…

腹を立てろ

腹 を 立 て ろ 不 平 を 言 え も の を 苦 に し ろ 笑 顔 で 暮 ら せ ^ω^ 【追加 2009/1/1】 むかし、釜ケ崎におったときに、交番の横の掲示板に、こんな標語みたいなんが貼ってあった。 腹を立てるな 不平を言うな ものを苦にするな 笑顔で暮らせ あん…

唯一者とその所有

神や人類が何物にも患わされずに、ひたすら自分のために生きているとすれば、僕らも僕らのこと 以外には、何物にも患わされずに生きたらどうであろう。 もし神様や人類がすべての内容を持っているとすれば、それはそれで承認しよう。要するに僕は何 も持って…

にひる・にる・あどみらり

「私は太陽の如く希望に輝いている。」 と云う文句と 「私は痩犬の如く人生に疲れている。」 と云う文句を書くには同一の努力がいる。 - 辻潤 『にひる・にる・あどみらり』より 写真は、昭和18年11月、中西悟堂邸でのもの。翌19年11月24日に、辻潤は餓死…

ふらぐまん・でずされと

おれの現在は此処には不在だ おれはおれ自身で包まれている さしまねく遊星とてもない 生はおれを無視して存在している 辻 潤 『ふらぐまん・でずされと』 辻潤によるボードレールの訳詩 『どこでもいいからこの世のほかへ』 ――ボオドレエル―― 人生は病院。…

かばねやみ…辻潤

かばねやみ 港はふける ルンペンの のぼせあがった たくらみは わらで束ねた干し鰈 犬にくわせて酒を飲む むこう遥かに沖見れば ばかに大きなお月様 丸い顔して薄化粧 商売なれば是非もなや やくにも立たぬこのからだ 抱いてねたとてなんとしょう うそで固め…

潤とまこと

写真左が辻まこと、右が辻潤、真ん中は知らん人。 人は生まれながらその人として完全である。 その人として成長し、その人として死ねばそれでいいのである。 「真人間」にも「超人」にも「犬」にも「仏」にもなる必要もなければ、 また他から「なれ」という…

南天堂の潤と潤

ある晩のこと、ぼくが仲間の詩人萩原恭次郎、壷井繁治、小野十三郎などと飲んでいると、対角の テーブルで飲んでいた数人のなかから、筒っぽの紺ガスリを着て、坊主頭にねじりハチマキをした 「体格のいい男が、どうしたハズミか、険しい眼をジロリとぼくに…

おもうまま

おもうまま 僕は自分のやるどんなつまらない仕事でも、自分の生活というものと離して考えることは出来な い。僕はいま序文を書こうとしている。序文というものを書くのはこれが初めてだ。とにかく序 文(『天才論』の序文のこと)というものはこう書くべきも…

ローソー

今年の春に、四天王寺の青空古本市で福永光司訳の『荘子』を五百円で売ってた。 筑摩古典全集とか何とかの一冊。 買うたらよかったんやけど、たぶん朝日選書の方(絶版)も出回っとるやろ思うて買わなんだ。 あん時買っときゃよかったなぁ。 どこにも、おま…

歩 行 者

ん?ひょっとして秋か? そんな具合な感じになってきてる。 ほんでも、毎度のことやけど酒屋が『秋味』持ってくるまでは秋も来んもんとしよう。 酒屋に義理もないけど。 大泉黒石の『老子』は期限が来たので、昨日図書館に返した。 途中までしか読んでいない…

昭和5年8月19日…嫁ハン譲渡声明文

拝啓 炎暑の候、尊堂益々御清栄奉慶賀候。 陳者我等三人この度合議をもって千代は潤一郎と離別し春夫と結婚致す事と相成潤一郎娘鮎子は母 と同居可致素より双方交際の儀は従前通りにつき御諒承の上一層の御厚誼を賜度いづれ相当仲人を 立て御披露に可及候へ…

六才にして・・・

六才にして 早人生のかなしみを 知り覚えにし 我がなりしかな 7月23日は金子文子忌。 冒頭の句は、前に金子文子の事を書いた時に、不逞さんに教えて貰ったもの。 持っている、『何が私をこうさせたか』金子文子(筑摩叢書)を読む。 以下は同書にある鶴見…

ネットで読む「辻潤」

辻潤の著書で、いま流通しているのは2点だけかと思われます。 一つは講談社文芸文庫の『絶望の書 ですぺら 辻潤エッセイ選』。 そして、五月書房の『辻潤―孤独な旅人』がそれです。 それ以外となると、古書店でオリオン社か五月書房の全集を見つけるか、図…