辻 潤 の 酒

 
酒でも飯でも一気に頂点を目指すような飲み方、食べ方です。

知り合いの中には、何時間もかけて食って飲んで喋ってというのもおりますけど、あれが出来んです。

この頃の酒が大人しいのは、歳で頂点に行く前に体がついて行かんようになったからや思います。


辻潤の酒は、少しでもいいから常に体の中に酒を入れておきたいというような飲み方やったようです。

辻潤と酒の関係が濃いものになるのは、やはり伊藤野枝が去って行った頃からだと、弟の辻義郎は言って

ます。別れてから、はじめのうちは晩酌程度だったのが、だんだんとハシゴをするようになり、酒も日本

酒だけだったのが、パリから帰ってからは色んな酒を飲むようになったと言ってます。

結果的に、辻潤はアルコール依存による精神障害になったりしてます。


蝸牛社発行の大沢正道編『虚無思想研究』に収録されている、市橋善之助の「夢なきものの悲劇」に、そ

んな辻潤の酒について、なるほどなぁと思う所がありましたので引用しておきます。


はい。



 じっさい世の中の人間を私たちは酒族非酒族とにわけることが出来るのではないか?
 
 いかんせん辻は酒好きだった。酒を飲まなければこの世の刺激にたえられない人間だった。だから

 彼は文学者というようなものになることが出来ずに、文学を地で行くことになってしまった。『阿

 片溺愛者』を実行することになったのであった。

 人あるいは彼の虚無主義ダダイズムをたいへん高遠なものと思うかもしれない。しかしこれみな

 酒のなすわざであった。バッカス辻潤の手を取って書かせた世迷言、うわごとにすぎないかもし

 れない…酒族にとっては、この世の中はひっかしいで見える。非洒族の重大視することが洒族には

 重大ではない。少くともアルコールが腹に入っている時には、価値転換が行われる。…辻が酒好き

 で身を過ったことは文学のためには酒盃をあげるべきことかもしれない。健全を追放せよ!意識を

 追放せよ!文学から、人生から…。私が武者小路君、木村荘八君、早稲田の連中よりも辻潤を親し

 く思ったのは、酒ゆえさらけ出される「人間」に心ひかれたのであった。じっさい辻潤の周囲には

 だらしなさがあった。しかし同時に裸かがあった。武者小路君たちは当時人道を説いたが、しかし

 事実は辻潤のはうに、きょうでい(兄弟)があった。彼には何もかも包みかくさず話すことが出来

 た。そこへ行くと武者小路君たちは、人生に構えがあった。辻のほうは八方すきだらけだった。

                            -市橋善之助「夢なき者の悲劇」