伊藤野枝の手紙

 やはりそのころのことだが、いつものように祖母の家に行くと、その日はたまたま詩人で野鳥の研

 究家であった中西悟堂さんがみえていて、応接間で祖母と話をしていたことがあった。

 横に座ってふたりの話を聞いていると、たまたま話はが辻潤におよんで、晩年の辻潤が悟堂さんを

 訪ねて来た時、それだけが唯一の荷物だった風呂敷づつみの中味が、野枝さんの手紙だった、とい

 う話は忘れられない。

             -築添正生『辻潤と祖母らいてふ』(虚無思想研究第7号1986.12)


おそらくその時であろう写真→http://blogs.yahoo.co.jp/tei_zin/45398531.html


 彼は妻の伊藤野枝に去られてから、浮浪みだれ、酒みだれ、女食みだれ、半狂みだれをしてたのし

 むことで、彼にとってはもっとも生きにくい戦時をゆうゆうと生きていたようである。

            -高木護『まことさんにいわれたこと』(虚無思想研究第11号1994.11)


エリック・ホッファーの『魂の錬金術』にこんなのがある。


   山を動かす技術があるところでは、山を動かす信仰は要らない。


これ、山を動かす技術がないところでは山を動かす信仰が要るということでもある。


辻潤は、山を動かす信仰から逃れた人。


違うか・・・これはkobacyouさんの真似。


はい。