『まことさんにいわれたこと』
人を取除けてなおあとに価値あるものは、作品を取除けてなおあとに価値ある人間によって、作ら
れるような気がする。
○彼の著作を読むのだったら、わかるとかわからないとかいうよりも、黙って読んだ方がいい。こ んな考え方の人間もいたのだなと読んだほうがいい。 ○彼は彼という一個の人間でしかない。 ○彼の全著作を読むのもいいが、それよりも気に入ったものだけでいいから熟読したほうがいい。 ○彼の考え方や思想にかぶれたという者がいたら、半端な読み方しかしなかったからではないか。 ○彼をわかったようないい方をする者たちもいるかもしれないが、それはどうかな。あんな激しい 生き方をした彼という人間をかんたんにわかったというのは、彼に対して失礼だよ。 ○きみなら、きみなりに読んで、きみなりにそしゃくするか、解釈すればいい。 ○彼の著作集などが出たら、その尻馬にのって、辻潤論やら何やら書きたがる者がいるかもしれな い。それはおそらく無駄な努力だろうな。 ○もしぼくがそれをいいものだといったら、全てご苦労様というだけのことだけだと思ってくれ。 ○例え彼の著作が読まれなくても、彼の著作は著作として残るだろう。 ○彼は一人の人間として生きたが、人間たちが作った常識の枠内で生きようとしなかった。むしろ そんな常識を軽蔑した人かも知れない。 ○彼の著作を読み、さらに研究したいのだったら、その前に"自分"とは"人間"とは何かということ を考えてほしい。彼の著作について云々するのはいいとしても、彼について研究するというのは どういうことだろうね。 -高木護『虚無思想研究第11号』(1994.11)より
うれしいなぁ。