『まことさんにいわれたこと』


   人を取除けてなおあとに価値あるものは、作品を取除けてなおあとに価値ある人間によって、作ら


   れるような気がする。



辻まことのこの言葉は、父である辻潤のことを意識して書かれていると思っている。


春に「辻潤書画展」に行って、むかし手放してしまった『虚無思想研究』をまた買うことが出来た。
   
その中の一冊に高木護が『まことさんいいわれたこと』と題して、辻まことからきいた事を書いている。


 ○彼の著作を読むのだったら、わかるとかわからないとかいうよりも、黙って読んだ方がいい。こ
 
  んな考え方の人間もいたのだなと読んだほうがいい。

 ○彼は彼という一個の人間でしかない。

 ○彼の全著作を読むのもいいが、それよりも気に入ったものだけでいいから熟読したほうがいい。

 ○彼の考え方や思想にかぶれたという者がいたら、半端な読み方しかしなかったからではないか。

 ○彼をわかったようないい方をする者たちもいるかもしれないが、それはどうかな。あんな激しい

  生き方をした彼という人間をかんたんにわかったというのは、彼に対して失礼だよ。

 ○きみなら、きみなりに読んで、きみなりにそしゃくするか、解釈すればいい。

 ○彼の著作集などが出たら、その尻馬にのって、辻潤論やら何やら書きたがる者がいるかもしれな

  い。それはおそらく無駄な努力だろうな。

 ○もしぼくがそれをいいものだといったら、全てご苦労様というだけのことだけだと思ってくれ。

 ○例え彼の著作が読まれなくても、彼の著作は著作として残るだろう。

 ○彼は一人の人間として生きたが、人間たちが作った常識の枠内で生きようとしなかった。むしろ

  そんな常識を軽蔑した人かも知れない。

 ○彼の著作を読み、さらに研究したいのだったら、その前に"自分"とは"人間"とは何かということ

  を考えてほしい。彼の著作について云々するのはいいとしても、彼について研究するというのは

  どういうことだろうね。

                    -高木護『虚無思想研究第11号』(1994.11)より

『[辻まことの世界]に魅せられて』が再開した→http://kotomi.fan-site.net/


うれしいなぁ。