身につけない

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辻潤書画展に行って来た。

京都の徳正寺。

阪急の烏丸で降りて歩く。


午後一時からの開催とあったが、早めについてしもうた。

知り合いから喫煙ポイントをきいて行かなかったので、しょうがないからドトールに入る。

ドトールは金太郎飴のように、どこでもドトール。しまいに客まで金太郎飴状態に思えたりする。


辻潤の書画展。

ずいぶんと昔に梅田でやってた覚えがある。

その時は、またやるやろ?と行かなかった。とくに暮らしが忙しかったわけでもなかったけど。

この頃は「また」がないように思えるので、行ける時には、やれる時には、そうしておこうという気持ち

が強なっている。


書画展は開始早々ではあったけど、既に何人かの人が訪れていた。

    生きるてふ事の不思議を われ知りぬ 定命の坂を越えざるにして

こんなことが書いてある書を何度も観ておった。

書のことなんぞサッパリやけど「ひらたいなあ」と思うた。


書の日付は昭和八年七月廿日となっている。

辻潤名古屋市を放浪中に警察に保護され東山脳病院に収容されたのが、この年の七月四日。

 「東山寮へは息子が迎えに行ったが、その時、辻はちょうど日向ぼっこしていて、肩に雀が一羽止

 まっていたそうである。一が近づくと、雀はいかにも名残りしそうに飛び去っていった。そして息

 子に曰く「俺は気違いではない。気違いなんてデタラメだ。帰れるようにしてくれよ。お前も見た

 ろう。雀が今まで俺と遊んでいたんだ。雀が気違いなんかと遊べるかよ、なあ。」一は気違いだか

 ら雀が肩に止まったりするんだよといいたかったが、いっても仕様がないので、ただ「ウンウン」

 聞いていた。」-玉川信明ダダイスト辻潤』より

まことに引き取られた辻潤は八月八日に板橋の慈雲堂病院に入院する。

そんなことで、この書は東山脳病院から慈雲堂に入院するまでの間に書かれたものということになる。


私は、辻潤の肩に雀が止まってた時の話を思い起こすたびに泣きそうになるので、この書の書かれた日付

をみて固まってしもうたのだ。

泣きそうになるのは、憐憫なんぞではない。

私は、あんさんが死んでから生まれた者やけど、こないな世の中に、あんさんみたいな人が生きとったと

いう事実を知って、うれしかった。そんな具合なことかも知らん。


書画の他に辻潤の著書や関連書も置いてあり、販売もしていた。

1981年からしばらく続いた雑誌『虚無思想研究』の創刊から10号までと三島寛の『辻潤-芸術と病理』を

買った。三島寛は辻潤の知友、武林無想庵の妹婿になる人でもあり、戦後は練馬区関町にあった慈雲堂に

勤務と略歴にある。


本買って、帰りに家の近くの立ち呑みで一杯やる。

これで、低額給付金は使い果たした事になる。まだ入金されてへんけど。

帰りの電車の中で『虚無思想研究』にあった、高木護さんの一文が頭に貼付いたので載せておきます。


そんだけ。



    なんじゃらほいの精神-努力について

 人間は五十を過ぎたら、男ならもうりっぱなジジイである。

 ジジイといういわれ方が嫌なら、爺さんである。

 さて、むずかしいことを判ってやろうとやろうと勉強もしなかったし、ジジイになったいまではな

 おさらである。

 むずかしいことといえば、その一つとして、たとえば「思想」というものがあるとする。そこでそ

 れなりに勉強して、他人の思想をわがものにしてみたところで、それは真似でしかあるまい。他の

 ことばでいえば、亜流(エピゴーネン)でしかあるまい。

 これまで「思想」だとかいわれてきたものを何か一つ思い浮かべてみても、そいつがなんでか流行

 したり、何かに利用されたり、手先になったりしているではないか。

 そんなたぐいのものを身につけるよりも、何も身につけないことのほうが、よほど思想かもしれな

 い。いわずもがなであるが、私は何も身につけない努力だけはしてきたつもりである。

                    -高木護『虚無思想研究』創刊号より