おもうまま

 
   おもうまま
 
 僕は自分のやるどんなつまらない仕事でも、自分の生活というものと離して考えることは出来な

 い。僕はいま序文を書こうとしている。序文というものを書くのはこれが初めてだ。とにかく序

 文(『天才論』の序文のこと)というものはこう書くべきものだというむずかしい規則がない限り

 僕の勝手なことを書けばそれでいいことを信ずる。僕はこの本とまるで関係のないようなことをい

 うかも知れない。けれど自分のいいたくないことは決していわないつもりだ。

 全体いつの世の中でも色々不可思議なことが沢山にあるようだ。僕の知っている今の世の中にもか

 なりあるようだ。しかしそれを知っていてか、知らないでいてか、きわめて当然なことだというよ

 うな顔つきをして平気でいる人間も随分とあるようだ。

 僕には「存在」ということが、まずたまらなく不思議だが、そんなことはとにかくとして僕等が

 近頃一番痛切に感じていることは、人間が自分に対して正直に生きて行こうとする程、ダンダン

 世の中に生存の道を与えられなくなっていくということだ。簡単にいうと食えなくなって行くとい

 う現象だ。もっともある人達にいわせるとこれは少しも妙ではなく、こうならなければならないよ

 うに世の中の組織が出来上がっているのだから、早くそれを変えなければいけないとそれ等の人達

 はいっている。もし果たしてそうだとすれば、僕等は一日でも早くそんなクダラナイ組織をプチコ

 ワして、みんなが自分に正直に愉快に暮らしてゆけるような世の中を実現したらよさそうなものだ

 と自分は考えている。

 僕は決して苦痛や貧乏を恐れたり、努力を避けようとは思っていないが、殊さら甘んじてそれ等の

 ものを味わいたいとは思わない。僕は精神上の欲望を犠牲にしてまでも金持ちになろうとは思わな

 いが、両方得られるならそれにこしたことはないと思っている。

                               -辻潤『天才論』序文

辻潤のデビュー作のようなものが、ロンブローゾの『天才論』の翻訳。

25歳の時から翻訳作業に入って、岩野泡鳴と生田長江の協力もあって、植竹書院から出版されたのは大正

三年(1914)のこと。

出版されると、さっそく大きな反響があり20数版を重ねたらしい。

その反響は『天才論』を読んだ多くの作家が、その作品中に『天才論』の事を書いていることでもよくわ

かる。

稲垣足穂は『天才論』を読んで、これはオレのことだ!と思ったと書いてます。

まぁ、だれでもそんなんやろけど。


で、『天才論』の翻訳から出版までの間に、辻潤もイロイロあったわけやけど、いちばん大きなのが、伊

藤野枝。

翻訳中に伊藤野枝と出会い、生徒と恋愛関係になったということで上野高女を首になってます。

そんな中でようやく出版にこぎついたような具合です。

無事出版されて評判をとって、とりあえず今からという時ですが、『天才論』出版の翌年、伊藤野枝は大

杉栄の所に行きます。

これが大正四年(1915)のこと。

そして、辻潤はその翌年の大正五年(1916)にシュティルナーの翻訳に取りかかります。



え~と、辻潤辻潤です。

辻潤というと、嫁ハン(伊藤野枝)に逃げられてからエンセーヒカンしてニヒリストになったような描か

れ方が多いのです。

伊藤野枝の前の旦那・・・こんな感じネ。

嫁ハンに逃げられてニヒリストになるんやったら、世界中ニヒリストだらけになって、いい世の中になる

かもですけど、そんなんあり得んわけで。

おんなじように、伊藤野枝辻潤大杉栄と男によって作られた人ではないです。

或る意味で伊藤野枝の扱いは辻潤よりひどいのかも思うことあります。

辻潤と同じように、伊藤野枝もはじめから伊藤野枝で生きてきた人です。



冒頭に引用した、辻潤の『天才論』の序文。

後の『唯一者とその所有』やいろんなエッセイと変わらない辻潤がおります。

それが言いたかったのです。



はい。