歩 行 者
ん?ひょっとして秋か?
そんな具合な感じになってきてる。
ほんでも、毎度のことやけど酒屋が『秋味』持ってくるまでは秋も来んもんとしよう。
酒屋に義理もないけど。
途中までしか読んでいない。
これを読んでから、黒石と『老子』の話が出来たらええなぁ思う。
どないなるかはわからんけど。
正確に理解しようなんて、いつものように思うてもない。
私がどない読むかだけのこと。
要するに、知らぬが仏ということか?
しっかし、「あの知者賢人とよばれるさかしら病患者」(福永光司訳)は笑うなぁ。
人が読んでて面白そうやったので『半七捕物帳』(光文社)を適当に借りてきて、適当に読んでる。
いまは「かむろ蛇」。
おもろい。
ところで、歩行者。
歩行者の趣味は、思想を選択し、思想を従者にし、思想を馘首する。 動揺と混沌とは歩行者の常態だ、生理と心理とを止揚するものは土着民だ。 土着民は法律を作る。放牧民は、彼自身を法律の一部としている。真の意味の自信だ。 人々が未来の方向に見るヴィジョンは、郷愁が過去から抽出した記憶の巧妙なすりかえだ。たかだ か五十年やそこらの個人的な過去を抽出するか、自分の生命のパイプから五十万年の過去をさぐっ て抽出するかが、ヴィジョンの質を決定する。 自然のこころよさは、あるがままのものがあるがままで徹底している点にあるのだ。 歩行者は全世界を敵として一人で闘うものだ。最初に現われる尖兵は、生理のうちに槍と楯を構え る自己だ。 -辻まこと「余白の告白」より
三十郎さん、おおきにです。
ほな。