唯一者とその所有
神や人類が何物にも患わされずに、ひたすら自分のために生きているとすれば、僕らも僕らのこと 以外には、何物にも患わされずに生きたらどうであろう。 もし神様や人類がすべての内容を持っているとすれば、それはそれで承認しよう。要するに僕は何 も持っていないことになるのだ。 だが僕は何も持っていないが故に、これからすべてを獲得する。 無から、僕自身は創造者として一切のものをつくりあげる。 僕の事でないものは全部去れ! 僕の事は善でもなければ悪でもない。神の事は神の事。人間の事は人間の事である。 僕の関心事は、神のことでもなければ人間の事でもない。 唯一無二のわが事でしかないのだ。僕にとって僕以上のものは何もない! -M・シュティルナー『唯一者とその所有』(辻 潤 訳)より
当の人間は、憧れの的である未来にあるのではなく、現に今ここに生存しているのである。 たとえ僕が如何様にあり、何者であろうとも、悦びに溢れていようと、悲しみに閉ざされていよ うと、また子供であろうと老人であろうと、安心していようと疑惑に陥っていようと、眠ってい ようと醒めていようと、僕はそれであり、本当の人間である。(同 上)
人間の生活は本来は無目的な生命であった。非合目的な生命であった。なん等の方針方向なるもの のない生命であった。 人間の意志にはふた通りある。生命意志と実行意志とである。 前者は生活力であり、生物意志であり、植物や鉱物さえこれを持っている。 後者は実行力がある、意志は決しておのれが本来目的として欲しないものを目的としない。 かれが目的を立てる時は必ずやすでにかれは大劫初(ごうしょ)からそれを目的とせねばならぬ様 に運命づけられている。かれの目的とはただかれに与えられた運命の追認的ホンヤクであり、自己 欺瞞である。 経験的には意志は価値によって導かれる。ゆえに価値は意志より原始的のものに見えるがそうで ない。意志あってはじめて価値なるものは設定せられるのである。 -辻 潤 『錯覚自我説』より
ー』の中に掲載されたもの。
シュティルナーの肖像はこの落書きしかない。