へらへったら へらへらへ

 
  ♪へらへったら へらへらへ  はらはったら はらはらは♪


こんなのを、覚えたのは『俺はども安』というTVドラマでやった。

「ども安」を演じたのは、砂塚秀夫。

この人とこのドラマ、けっこう強烈に頭に残ってます。

で、砂塚秀夫演じる「ども安」が、「へらへったらへらへらへ」と劇中でやってるのが耳に残ってるよう

な具合です。

  甲州は御坂のふもと 右にそびえる大菩薩
  
  どうしてこの世はこうなんだ
  
  武居のども安 心で吠えた 

ナレーションもよかったなぁ。


なんか、元々は「へらへら踊」という、大阪生まれのお座敷芸の文句のようです。


♪へらへったら へらへらへ♪


辻潤の関連で言うと、浅草で文士劇をやったときに、黒瀬春吉が『王様の唄』なんてのを作詞してます。

こんなの。


  へらへったら へらへらへ

  はらはったら はらはらは
 
  明日という字につい騙されて
 
  いつも知らぬは今日ばかり

  ほんに知らぬは今日ばかり

             -『王様の唄』黒瀬春吉作詞/沢田柳吉作曲


黒瀬春吉については、こちらにちょっとだけ→http://blogs.yahoo.co.jp/tei_zin/6187307.html


けっこう、いけてます。

  明日という字につい騙されて いつも知らぬは今日ばかり

こんなん、好きです。


思い出したので、M・シュティルナーの『唯一者とその所有』から、いつものを貼っときます。


  当の人間は、憧れの的である未来にあるのではなく、現に今ここに生存しているのである。

  たとえ僕が如何様にあり、何者であろうとも、悦びに溢れていようと、悲しみに閉ざされて

  いようと、また子供であろうと老人であろうと、安心していようと疑惑に陥っていようと、

  眠っていようと醒めていようと、

  僕はそれであり、本当の人間である。(シュティルナー/唯一者とその所有)


嫌いな言葉に「自分探し」ちゅうのがあります。

自分が探してるものは、とうに自分が持っているものの中にあるのやないかと思うてます。

自分なんか探さずに、自分が持っているものを養っていけばええやんと思うのです。

探すのでなく、自分を肯定したらええだけのことです。

自分の過去は、自分以外の誰のもんでもなく、自分のもんです。

それこそが、自分の力であり、自分が所有するものや思います。

自分を肯定するから他人を肯定できる。

否定したい他人って、否定された自分のことやないやろか。

自分を肯定したら、なんにせよ生きる事も楽しいもんになるやろう・・・それは保証できんけども。

辻潤シュティルナーの言う【唯一者】って多分そういうことと思うたりする。


これも、何度も書いてますけど、辻潤風の【唯一者】は、こんなん。

  人は生まれながらその人として完全である。

  その人として成長し、その人として死ねばそれでいいのである。

  「真人間」にも「超人」にも「犬」にも「仏」にもなる必要もなければ、

  また他から「なれ」という命令を受けることも無用なのである。( 辻潤/自分だけの世界)



そんだけ。