チンチロリンのカックン

 
一昨々日の昼から、歯ぁ~が痛たなった。

オッサンは歯医者は嫌いだが、痛いのも嫌いだ。

秤にかけたら歯医者が勝ったから行ってきたけど。

なんにしろ、体調の悪さが歯に来るというのが、ここ2,3年続いている。

その日の夕方には痛みも治まったけど、痛み止めのせいか頭がいつも以上にボォ~っとなってる。

けったいな具合やな思うてるとチンチロリンのカックンが唐突にやってきた。

チンチロリンのカックン=まぁいろいろええことにしよう状態で、由利徹の名言でもある。

そんな具合なここ数日であった。

新庄剛風に言うなら、やる気なし男ちゃんやね。

新庄で思い出したけど、今日は今岡誠の誕生日でもある。

大阪に住んでても、最近は上新電機のCMでしか見いひん。

今岡もカックンとなってもうたんやろか?


カックンな日々に『木山捷平全詩集』を読んでた。

      雨
 
   もう金がいくばくもないから

   歩いて帰ろうと思ってゐたのに

   ひどく空が曇って来たので

   また雨にふられて

   たった一枚の着物を濡らしてはと

   電車に飛びのつたが-

   電車が走るにつれ

   だんだんはれて行く空を眺めながら

   私は次第に憂鬱になつて

   おなかでもいたいみたいに

   ふところに両手をつつこんで

   銅貨のかずをかぞえながら

   実は今夜の夕飯について考えてゐるのであった

木山捷平、21才の時の作品。

こんな具合に、ついていない人であった。

それも一生ついてなかった人と言えるかも知らん。


      五十年

   濡縁におき忘れた下駄にあめがふってゐるような

   どうせ濡れだしたものならもつと濡らしてやれと言ふような

   そんな具合に僕の五十年も暮れようとしてゐた。

ほんでも木山捷平は、つきのなさを泣き言や恨みにすりかえたりはせん。

こんな具合なのだ。

このユーモアは自虐的ではないのだ。


      辛 抱

   ほんとうのところは

   この世にゐなくてもいいんだけれど

   葬式代がないから

   辛抱してゐるようなものである。


   いやあ

   ずゐぶん

   待たせるなあ。


腹据えとるなぁ。



ほな。