九四の歩

 
週一でF元君の仕事を手伝うことになった。

もちろん、ロードー後の酒もついてる。

ビョーキ男との暮らしもええ加減煮詰まってるので、週一回くらい、世間の風にあたるのも正解やろう。

何とか時間を工面しよう思う。

それにF元君の事務所は南森町やから、日本一長い天神橋筋商店街にはじまって界隈に楽しい所も多い。

たとえば、梅田と天神橋筋をつなぐ無国籍エリアと称される、天五中崎町商店街。

この商店街にある力餅食堂中崎店の「カレー皿うどん」は美味い。麺にもカレーを練り込んでるので、出

汁と麺両方でカレーの味がするという優れもの。

「カレー麺ざる」もあるけど、こっちはまだ食ったことがない。ちょっと勇気がいるなぁ。

噂の【宇宙家族】]は入ったことがない。

「UFO定食」とか「DNA定食」なんてのがあるそうやけど・・・。



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ホンマは昨日書くつもりやったけど、F元君と飲み過ぎた。

昭和12年(1937)の2月5日の京都は南禅寺

68歳となった坂田三吉は、世間のしがらみの中で木村義雄八段と「名人」の称号を賭けた一番を指す。

その時、木村八段の初手七六歩に対して坂田三吉は九四歩の二手。

この将棋史上初の一手に木村も周りもあんぐり。

勝負は坂田三吉の負けに終わる。

この横紙破りの手を新聞で読んだ織田作之助は『聴雨』の中でこう書いている。

 「坂田はやつたぞ。坂田はやつたぞ。」と声に出して呟(つぶや)き、初めて感動といふものを知

 つたのである。私は九四歩つきといふ一手のもつ青春に、むしろ恍惚(くわうこつ)としてしまつ

 たのだ。
 
 私のこの時の幸福感は、かつて暗澹(あんたん)たる孤独感を味はつたことのない人には恐らく分

 るまい。私はその夜一晩中、この九四歩の一手と二人でゐた。もう私は孤独でなかつた。
       
                                    -『聴雨』より


織田作之助『聴雨』は青空文庫で読めます
         →http://www.aozora.gr.jp/cards/000040/files/862_19622.html


ほな。