猿飛佐助
猿飛佐助は、今はどないなんやろ?
た。それと立川文庫が大阪の版元やったことも。
猿飛佐助が、それほど昔でもない生まれやったのでびっくりした覚えがある。
けさせたらおもろいで」とヒントをもうて、正義の味方の忍者で、しかも大阪人の好きな真田幸村の家来
という、立川文庫最大のヒーロ、猿飛佐助が誕生となったらしい。
大正5年(1916)の今日、12月20日。
立川文庫四十冊記念作として『猿飛佐助』デビュー。
初版千部はあっという間で、重版、重版、また重版で原版はすり減って文字が薄れる状態になって、百万
部突破。
そんなことで、今日は猿飛佐助の誕生日。
六尺三寸というから190㎝の猿飛佐助が登場する小説がある。
こんなん。
佐助は、アバタ面のほかに人一倍強い自惚れを持っていた。 その証拠に、六つの年に疱瘡に罹って以来の、医者も顔をそむけたというおのが容貌を、十九歳の 今日まで、ついぞ醜いと思ったことは一度もなく、六尺三寸という化物のような大男に育ちながら 上品典雅のみやび男を気取って、熊手にも似たむくつけき手で、怪しげな歌など書いては、近所の 娘に贈り、いたずらに百姓娘をまごつかせていたのである。
余は憐れにも醜き人間共の、げす俗顔に余の凉しき瞳を汚されるのを好まず、また喧しい人間共の 悪声に、余の汚れなき耳を汚されるのをおそれて、高き山の嶺より嶺へ飛行する戸沢円書虎(ツア ラツストラ)、またの名を白雲斎といえる超(鳥)人であるぞ。
これは、織田作之助の『猿飛佐助』。
ひたすら名調子で、シャレの洪水。
されたが、空襲警報で放送がしょっちゅう途切れたらしい。
之助を読みだしたきっかけやった。
ほな。