北を向いてほしいと思いながら

 二親が死んでから、私は祖父と二人きりで十年近く田舎の家に暮していた。(中略)

 祖父は盲目であった、祖父は何年も同じ部屋の同じ場所の長火鉢を前にして東を向いて座ってい

 た。そして時々首を振り動かしては、南を向いた。(中略)

 南は日向だ。(中略)
 
 北を向いてほしいと思いながら私は祖父の顔をみつめていた…


北を向いてほしい・・・私は、いつも北側にいる。



川端康成の『日向』は文庫で僅かに3頁ほどの作品だが、中段でこんな一節が出てくる。


これ川端康成そのものやん!と思うた。

明治32年(1899)に、大阪は北区で生まれた川端康成は、翌年に医師だった父が亡くなり、母の実家の三

島郡に移るけど、その翌年に母も亡くなる。

二人姉弟、姉は母方の伯母に、康成は祖父母に育てられるも、その祖母も八歳で亡くし、祖父と二人きり

の暮らし。そして、十一歳の時に姉が、十六歳でその祖父も亡くなる。


川端康成上田秋成も熱心に読んだ覚えはないけど、二人とも、その家族にまつわる事では、災難という

か、理不尽というかそんな境遇であったことは覚えていたのだ。



話は『日向』に戻って。

この話は、こんなところからはじまる。

 二十四の秋、私はある娘と海辺の宿で会った。恋の初めであった。

そんで、こんな具合に終わる。

 私は笑った。娘に親しみが急に加わったような気がした。娘と祖父の記憶を連れて、砂浜の日向に

 出てみたくなった。


そんな私は、人の顔をじろじろと見つめる癖があり、宿で娘にもそうする。

そして、その癖が盲目の祖父との二人暮らしで生まれた癖であることを理解する。


 この癖を持つようになった私を、安心して自分で哀れんでやっていいのだ。こう思うことは、私に

 躍り上がりたい喜びだった。

そんな具合に過去を了解し、そして、こう終わっている。


 私は笑った。娘に親しみが急に加わったような気がした。娘と祖父の記憶を連れて、砂浜の日向に

 出てみたくなった。

この最後の一節は、場所は同じでも時間が変わっているような気がするのだ。


  娘と祖父の記憶を連れて

   は

  娘と/祖父の記憶を連れて

   でなくて

  娘と祖父の記憶を/連れて


   のように思うから。



生き別れか、死に別れかはわからんが、「海辺で出会った娘」も、祖父と同じく、私は娘を見つめ、その

目線に娘は恥じらいはするが、しかし、娘も私の方を向いてはくれなかったのやろう。


娘を見つめた記憶は、祖父をそうして見つめていた記憶へ繋がり、そこから、「この癖を持つようになっ

た私を、安心して自分で哀れんでやっていいのだ。」と自身を納得させた私。

だから、いつも北側にいる私は、自分自身を哀れんで祖父や娘が向いた「日向」に出てみたくなったよ

な気がする。


日向の方に行けば、祖父も娘も、きっと私を見てくれるだろう?


そんな具合に、『日向』を読んで思うた。

哀しいのぉ。

おしまい・・・おんくんさん風に。



ほな。