センベとオカキ
なんや、これ煎餅ちゃうやん、おかきやんけ!
実は、私の中では煎餅とおかきはこんな具合に分けられている。
せんべい=小麦粉=お茶の友。
お か き=米=酒の友…酒の友は私の場合だけかも知らんけど。
大雑把に、大阪で煎餅は、小麦粉を焼いた少し甘い物で、東京というか関東では草加煎餅のような餅焼の
ことかと自分なりに納得してる。
先だって、目玉医者さんの記事の『煎餅ポリポリ目玉おやじ♪』 を読んで、自分の基準を変えるつもりもない
けど、世間とのズレはどないなんやろ?
そんなことで、もう一回煎餅・おかきの何がどうやねん?を調べてみた。
まずは手元にある、牧村史陽編『大阪ことば事典』をひいてみた。
オカキ(お欠き) 欠き餅。大阪には糠米でできた「塩せんべい」というものはなかった。宮中の女房ことばからでた もので、おせん(煎餅)などと同じ。 おかきは醤油または砂糖醤油のつけ焼きなど、いろいろ工夫されたので、大正中期からは砂糖入、 胡麻入、豆入、青海苔入・えび入など、五色のおかきが百貨店などで売り出された。又、色町では 特に厚手の手焼きのおかきなどというものも売られた。 センベ(煎餅) せんべいのイが脱落したもの。 明治三十年代のことであるが「センベ、大センベ、おっきなセンベ、大センベ」とデンデン太鼓を たたいて煎餅を売りに来た、多分、メリケン粉で薄く丸く焼いた塩味の煎餅であったかと思う。 東京のいわゆる塩煎餅は大阪にはなく、これが売られるようになったのは、大正十年頃百貨店に食 料品部というものが出来て以来のことである。 -牧村史陽編『大阪ことば事典』
どうも、私の分け方とは微妙に違う。
けど、大阪には糠米でできた「塩せんべい」というものはなかった事、それが大阪に登場したのは大正に
入ってからという事はわかった。
次に「食にも方言がある」という気持のいい目線から食いモンをレポートしている日経の『食べ物新日本
奇行』を見てみる。
<せんべいは小麦?米?>というのがあった。小麦派と米派の勢力分布図。
→http://waga.nikkei.co.jp/play/newmap/2006/
・・・分布図は2006年の春の中にあります。
→http://waga.nikkei.co.jp/play/newmap/2006/
・・・分布図は2006年の春の中にあります。
これで見ると、小麦派は全体の29.1%で、少数派やねんなぁ。
上から青森・岩手が米優勢の北海道・秋田・宮城に囲まれて小麦優勢。
両者拮抗というのはほとんどなくて、どんどん下がって、突如として鳥取が孤立無縁な小麦完全制圧県。
反対側の岡山はコメ制覇県で島根・広島・山口もコメ優勢県。
海を渡って徳島が孤立無援な小麦完全制圧県で高知がコメ・小麦拮抗。本州側の香川・愛媛はコメ優勢。
九州は大分・宮崎と佐賀・長崎が小麦優勢県でコメ完全制覇の福岡とコメ優勢の熊本・鹿児島を挟む形。
沖縄は調査されていない。
・・・これが、どのくらいの規模で調べたかはワカランです。すんまへん。
となると、大阪在住ではあるけど、私は大阪の中でも少数派ということか!
家のオカンが鳥取生まれやから、その影響なんやろか?
これを読んでると、「煎餅」、「おかき」に「あられ」が乱入するし、「柿の種」が「私の地位と権限を
どう考えているか?」と言ってくるし、「かりん糖」は「駄菓子や思うて無視すんのか?」と抗議してく
るしで、ますますヤヤコシクなってきた。
そんな中、果敢に農水省に「煎餅」、「おかき」の規定を質問した勇者の記事を見つけた。
記事に農水省の見解らしきものが書いてある。
まぁ、結論としてはこんなん。
・・・したがって、「せんべい」及び「あられ」のほか「おかき」、「かきもち」などは特に法的な定義
はなく、一般的な用語として使用されているものと考えられます。
へぇ~。
浪記』で、京都の聖護院の煎餅を売ってたとか。
その煎餅は、どんな煎餅やったんやろか?が気になってくるなぁ。
このダラダラした記事を読んでもうた皆さんの「煎餅」、「おかき」はどんなもんでしょうか?
ほな。