地べた

 
二月は逃げて、三月は去るというらしいけど、今年の三月は11日から流れてない気もする。


ずっと昔、まだジャンジャン横丁が猥雑過ぎるくらいやった頃。

食うに困ってはおらんかったけど、何かと途方にくれて、そんなジャンジャン横丁辺りの地べたに、へた

りこんでた時代があった。

見上げたら通天閣は天辺までみえたけど、通天閣からは地べたにへたりこんだアホガキなんぞ見えもせん

かった思うた。


あれからこっち、自分の才覚関係なく、ただ世の中が右肩上がりやったから、日々凌げてきたけど、相も

変わらず途方にくれて地べたにへたりこんでいるに変りはない。

こないして、へたりこんだままやと、上から見てる奴が目障りや思うたら、ゴミでも掃き捨てるように放

り出されるんやろ思う。

お前一人のために、みなが犠牲になるわけにはいかない・・・そんな立派な説教をかましながら。

ホンマは腹の中で「コイツの替りはなんぼでもおる」と思うてんのやろけど。


70年の終わりの頃やった。

釜ケ崎でやたらと日当のええ仕事があって、それもヤクザな手配師絡みでもない。

行ったろ思うたら、師匠のようやったベテランのオジサンが、やめとき!というからやめたことあった。

仕事の行き先は福井。

80年に入って『技術と人間』なんちゅう雑誌を読まされる羽目になった時に、その時の仕事が原発の下請

けの下請けの下請けの下請けの下請けの下請けの…仕事やったと知った。

相も変わらず、この辺りの底辺の時間も動いはおらん。


手で砂をすくう。

こぼれ落ちる砂もある。

けど、手に残った砂も、こぼれ落ちた砂も、自分の意志によってそうしたわけでもない。

当たり前か。


通天閣の上から物事を見てる人たちは、こぼれた砂は必ず見過ごす。

必ず。


雇用の喪失、家族の喪失、住居の喪失をもってホームレスというらしい。

そして、そうなったのは自己責任であるとさらに鞭打たれもする。

そやけど、ホームレスになったきっかけが災害である人も多い。

がんばろうニッポン!

それはそれでええやろう。

けど、この熱が冷めた頃、途方に暮れてへたり込んでる人を自己責任と片付けて行くのやろか?

行くんやろなぁ・・・。


少なくも貧しい者のみが現実苦の一切の責任を負わなければならぬという法則は存在しないのである。

                                     -宮本常一/萩の花
  

ほな。