『おや関東人にもわかるのかい』

 
まいどです。
 
町会費のジャラ銭攻撃やら、青パト巡回子供にバカにされやらで、忙ししてます。

こないだ、団鬼六さんが亡くなりはったとありました。

団鬼六さん、そないに読んだことはないのですけど、ワテは河内音頭が大好きで、その関係で団鬼六さん

の書かはった、河内音頭についてのエッセイ読んだんですけど、これがええんです。

タイトルの『おや、関東人にもわかるのかい』、痺れますわ。


このエッセイは3年前くらいに記事にしてますけど、もう一回紹介します。



都市に慣れながら、野性を深く持つのが、大阪人の常である折口信夫。そんな具合かもです。



  高校二年の時、初めて盆踊りの中に加わり、河内音頭に合わせて踊った。

  初恋に破れてヤケクソになり、私は酒を飲んでいた。浴衣姿で踊る女の子は石けんの匂いを発

  散させてそれが妙に官能的であり、私は胸苦しさを感じた。ヤグラの上の河内音頭の一隊をふ

  と見上げる娘の眼の輝きは異様な位に美しく見えた。
 
  この時、初めて私は河内音頭の哀切感に酔い痴れていった。

  試験勉強しながら下宿の二階で聞く河内音頭は何となく低俗な滑稽感しかなかったが、こうし

  て密着して聞く河内音頭は切ない位に胸をうずかせるのだ。

  バッハやモーツァルトは何だか現実離れしているように感じられて階級意識的に私はついてい

  けなかったが、河内音頭は現実に対する端的な密着感があった。

  兄ちゃん、女にふられた事ぐらいでくよくよせんとき。まだ、若いんやないか。しつかりせん

  かいやーと、その時、私の聞いた河内音頭は私にハッパをかけてくるような感じなのだ。

  聞く者にハッパをかけてくる音楽というのは破格である。芸術とは格を破るものという言葉が

  あるが、とにかくその時、私は芸術的といっていい位の感動を受けた。自然に手が舞い、足を

  踏んで私は踊り出していた。

  何故、あの時、発作的に河内音頭に酔い痴れたのか、不思議な気がするが、あれ程、大阪人、

  河内人の自我の現れた音頭はない。私が大阪人である故に結局は親友の気持がわかったのだろ

  う。河内人の自我が今は他者となって河内音頭は全国的な広がりを見せつつあるという。

  よっ、ワレ、どないしとるんじゃ、元気出さんかいっ、という河内弁で語られる河内音頭がな

  んで都会の知的階級層にまで支持されるようになったのか、その点、私は不思議に思うのだが、

  結局、河内音頭は関東、関西を間わず、文句なしに好きだという人達の中に存在しているとし

  かいいようがない。

  そして、河内音頭が好きだという人は昔、私がわけもわからずバッハの曲を聞いていたように、

  文芸作品とはトルストイであり、ドストエフスキーだとしながらも、本当は長谷川伸の沓掛時

  次郎の方に芸術的感動を覚える人である筈である。〈佐渡情話〉に泣く程の感動を覚えたとい

  うあの太宰治も、もし、河内音頭を聞いていたならば文句なしに魅了された筈だ。

                      -団鬼六『おや、関東人にもわかるのかい』より


ほな。