この世で地獄におるもんが地獄じゃ

 
山本作兵衛さんの絵、日記などが<ユネスコ世界記憶遺産>に登録と、この25日のニュースであった。

上野英信による山本作兵衛さん。

 山本作兵衛さんは、1892年、福岡県筑豊炭田の中心地である嘉穂郡に生まれ、早くも七歳のころから

 親の手伝いとして坑内にさがりはじめ、以来五十余年間を炭坑で働きとおされた老坑夫である。

 その半世紀にわたるヤマの生活と労働を山本さんが絵にかきはじめたのは、1958年からのことである

 が、当時はまさに石炭産業合理化の嵐が決定的な打撃を筑豊に与え、ヤマも人も壊滅の一途をたどり

 つつあるまっただなかであった。(『骨を噛む』上野英信より)


山本作兵衛さん自身は「私の絵にはひとつだけ嘘がある。地底には光がないので色がない」と言う。

初期の作兵衛筆と墨だけで描いているが、後年になってその地底の光景に作兵衛さんは光を与え、極彩色

で描くようになったそうだ。


ところで、世界記憶遺産ってなんやようワカランけど、少なくとも山本作兵衛さんの記憶は、むかしこんなことがあ

ったというような記憶やない。

その記憶はいまに続いてる。


こないだ、やっぱりなぁ思うニュースが出てきた。

釜ケ崎の労働者が宮城で運転手の仕事のはずが、連れて行かれた先は福島第一原発での作業であったと。

金がないから仕事引き受けるわけやから、現場が違うても、断って帰る金もない地獄への片道切符。



上野英信の『追われ行く坑夫たち』に、こんなんある。

「地獄極楽、いってきたもんのおらんけんわからん。この世で地獄におるもんが地獄じゃ」。 

 娘のころは父につれられて、結婚してからは夫とともに、うまれた娘が大きくなるとその娘をつれ

 て、一生を暗黒の地底で働きつめたひとりの老婆がいつもこう呪文のようにつぶやいていた言葉を

 私は忘れることができない。私のききあやまりではない。

 彼女は決して「この世の」とはいわなかったし、まして「この世の地獄が地獄じゃ」などとはいわ

 なかった。彼女はあたかも「この世で悪魔を見るものが悪魔だ」とでもいうような調子でたしかに

 「この世で地獄におるもんが地獄じゃ」といっていた。

 そうだ、私にとって問題であるもの、それは「この世の地獄」ではなくて、「人間そのものとして

 の地獄」であり「地獄そのものとしての人間」である。(『追われゆく坑夫』より)


「この世で地獄におるもんが地獄じゃ」・・・今もそうやいうこと。何も変わってへん。


すくうた掌から零れ落ちた砂のように、語られない歴史、忘れられていく記憶、そして消されていく人たちもおる。

ただ過去を封印するだけの遺産は、上野英信山本作兵衛の仕事をを失う事になっているのではないんかい

な、と思うたりもするんやけど。



そんだけ。