シュティルナーと『ニーチェの馬』


The Turin Horse - opening scene
 
まいどです。
 
ニーチェの馬』の出だしです。
 
この音楽が、映画終わるまでずっと続きます。
 
ワテもいまだに脳内再生します。
 
 
ワテの頭がワヤにならんうちに思うて、シュティルナーの『唯一者とその所有』を再々々々読してます。
 
もちろん、辻の潤さん訳です。
 
ほな、こんなんに出くわしました。
 
これ、まるっきり『ニーチェの馬』やんと思うた次第です。
 
こんなん。
 
 
近代の入口には「神人」が立っている。

その出口では神人の神のみが蒸発するだろうか?

そして、その神人は、若し彼の中にいる神が死にさえすれば実際死ぬことが出来るだろうか?

かれ等はこの疑問に就いて考えなかった。

そして、かれ等は我々の時代に於て神の絶滅、即ち啓蒙の仕事が凱旋する時にかれ等が完成されると考えた。

かれ等は人間が今―「高きに位する唯一神」とならんがために神を殺したのだということは気が付かなかった。

我々以外の他界は実際掃蕩せしめられた。

そして啓蒙派の偉大な企図が完成された。

しかし我々の内の他界が新たなる天になって、再新された天井騒ぎに我々を招集している。

神は位を譲らなければならなかった。

しかし、我々にか、否―人間にだ。

諸君は神以外に彼の中の人間が死なない限り、どうして神人の死を信ずることが出来るか?

・・・M・シュティルナー『唯一者とその所有』辻潤訳。
 
 
ほな。