佐藤春夫…辻潤を語る

そのユニークな文学は醜悪に似て豪華、暗鬱にして楽しく自暴自棄ながらに厳粛、つらつら思うに、この


不思議なニュアンスは太宰治の先駆をなすものであった。


幕府瓦解の後、蔵前の札差の家に人となった彼も亦斜陽族で・・・その江戸人の血脈、趣味、教養を表現


するに世紀末的虚無頽唐の文芸観を以ってしたのが彼の文学である。


陶酔を求めて終に陶酔し得ず、自我を追求して終に自我の覚醒を得なかったのが彼の文学である。


一身零落して放浪多年。その間、孤独と近代の憂悶とを遺さんとして、或は共鳴する海彼岸の文芸を紹介


祖述し、或は自家の複雑多岐な感懐を吐露して傍若無人である。


彼と太宰との差は太宰が朴訥な田舎者で自己を語るにヤボな小説体を以ってした所を、辻は翻訳や随想雑


記でした点だけであろう。


辻の代表作ともみるべき自伝的随筆は題して『ですぺら』と云う。敢て絶望の書と呼ばず同じ意味をこの


造語で現したのが辻の気取りでもあり文藻でも私情でもある。その語感の示す彼は・・・楽しく絶望した


のである。彼の文学がへんに魅惑するアルコホル的乃至阿片的要素のある所為であろうか。

                     『ニヒリスト~辻潤の思想と生涯』松尾邦之助・編より



晩年、辻が、執筆中の佐藤宅に尺八の門付けに現れる。佐藤は、女中に某かの金を渡して会う事はなく、

辻も、その金を懐に「おっ」の一言で立ち去ったという。