道を訊いてるはずが
なんで自分はこの世に存在してるのか?
まあ、だれでも一回は考えたりもする。
で、台所で晩メシ作ってるオカンに訊いてもしょうがないから、本でも読む。
話がややこしそうやから、ややこしそうな本がええやろうとそうした本を選ぶ。
その本の内容が人間を救うかどうかは知らんけど、その重さと装丁なら頭一発どついたら凶器になりそう
な分厚いやつ。
ここで、ドツボにはまったりする。
こっちが、どうなんか?って訊いてるのに「お前は何者?」っていきなり問いかけてくる。
「そう問う、お前は何者か?」と。
それから、その「何者か」問題に熱中するようになる。
自分は何者か?この問いが全てを解く鍵のようなとんでもない所に行ってしまう。
最初の問いは完璧に忘れられている。
道がわからなくて、お巡りさんに尋ねたら、「あなたの身分は」?って聞かれて、必死に証明しつづけて
いる状態。
そんな具合だから、行き先=死ぬための準備すらできなくなる。
哲学とか宗教と呼ばれているものには、そういうのもある。
やや紛いものもあったりするように思う。
そういう私も、この「何者無限ループ」から抜け出たのは最近かも知れん。
当の人間は、憧れの的である未来にあるのではなく、現に今ここに生存しているのである。
たとえ僕が如何様にあり、何者であろうとも、悦びに溢れていようと、悲しみに閉ざされて
いようと、また子供であろうと老人であろうと、安心していようと疑惑に陥っていようと、
眠っていようと醒めていようと、僕はそれであり、本当の人間である。
(M・シュティルナー/唯一者とその所有)