カレーライスかライスカレーか・・・途中経過

コバチョペディア「カレーライス」→http://blogs.yahoo.co.jp/rrrdx928/40942395.html

kobachouさんの所の記事です。


この記事で漱石、芥川、太宰、織田作、安吾とみんな「ライスカレー」であって「カレーライス」ではな

い。そうか!文学者はライスカレーなのだとと知ったのだ。

生涯において一度だけでいいから「文学をやってる者ですが」の台詞を吐いてみたい私としては調べる必

要がある。


早々に近くにある資料室へと急いだ。

歩いて五分の区立図書館だ。ほぼ蔵書の配置も理解している。

以前、トンカツの事を調べた時いちばん字引的に活用できたのが、講談社選書メチエの『とんかつの誕

生』だった。たしか同じシリーズに「カレーライス」があった。


『カレーライスの誕生』小菅桂子講談社選書メチエ。この書名の付け方何とかならんのか。

最後の方に、カレーライスかライスカレーかについて書いてあった。

久米邦武の『米欧回覧実記』明治6年(1873)には「ライスカレイ」と記されている。

しかし『女鑑』、明治40年(1907)になるとカレーライスと書かれ「ライスカレーともいふ」の但し書

きがついている。

しかし、大正15年(1926)そして昭和6年の『主婦の友』では「カレーライス」となっている。

これでいくと、どうも大正末から昭和のはじめ、つまりカレーの普及につれて「ライスカレー」が「カレ

ーライス」に変わって行ったと考えるべきであろう。と書いてある。


ようするに、給与所得者=サラリーマンの登場と並行しているのではないか?

戦下のレシピ~太平洋戦下の食を知る』斉藤美奈子(岩波アクティブ新)から引用するならここ。


<婦人誌が広めた概念②~家庭の味は母の味?>

家庭料理イデオロギーとでも呼ぶべきもの=手作り料理は母の愛情の証し?=出来合いの総菜は主婦の怠

慢・手抜きの論理→これこそメディアによって作られたもの。

家庭の食卓が飯と漬物程度だった時代(地域)にこんな考え方はどこにもなかった。裕福な家庭は炊事は

使用人の仕事であったし、忙しい主婦は大事な労働力であり、炊事など…。料理に手間暇かけられるの

は、新しい都市型の家族のみ~夫働き、妻は家事に専念。

愛情と料理の間には、本来、何の関係もないということ。(要約)



池波正太郎は「カレーと呼ぶより、むしろライスカレーとよびたい。戦前の下町ではそうよびならわして

いた」と書いているそうだ。


吉行淳之介は、カレーライスとはすなわちカリー・アンド・ライスで本場のもの、本場のものに近いとい

うニュアンスが感じられ、一方ライスカレーは日本化したものという感じがあるとし、食堂で食べさせ

る、黄色くてドロリとして、福神漬がよく似合うのがライスカレーであるとする。

これで行くと、丼と同じ範疇(オン・ザ・ライス)に入るものがライスカレーとなるのだろうか。


この場面は、ここまでの話で行くと「ライスカレー」とするのが妥当だろうか。

「おネエちゃん、あれおくれ、あのぉ、ごはんの上に黄色い汁がかけてあって・・・」

「カレーライスですね」

「そう、それや、ワイなあ、あれが大好きやねん」(八尾の朝吉~映画「悪名」より)



関係ないけど、『女鑑』。その中で紹介された洋食にこんなんがある。

カレーのみそ汁・牛乳入り汁粉・ハムの粕漬け・刺身のマヨネーズかけ・マスタード付きの蒲焼き・牛

乳入りのマグロぶつ切り…

まあ、こうゆう試行錯誤があって、西洋料理でなく洋食ってのが生まれたんやろ。


そんなところです。