ライスカレー/伊藤ルイの場合

その日、まことは田舎の女学生たちに従いて、皇居や明治神宮を廻った。

夜は、宿泊先の神田のYWCAに迎えにきて、留意子を銀座へと誘った。

三越でパイプオルガンの演奏を聴き、食堂に入った。「何が食べたい?」と聞かれて、

とっさに思いつかぬまま留意子が「うちゃあ、ライスカレーが食べたかと」と答えると、まことは大声で

笑いだした。

前年に遇った笑子も、まったく同じ答えをしたというのだ。留意子も笑ってしまった。

「留意ちゃんはママのことは何か覚えてるかい」

「いいえ、なあもおぼえとらん」

・・・・・

宿に帰って、何気なく開いた新聞で、留意子は一つの小さな記事に釘づけになった。

― 往年のダダイストとして、文壇に活躍した辻潤(53)氏は…行啓を控えて非常警戒中七日午前九時

頃菅笠垢じみた背広下駄履きの異様な風態で左京区松ヶ崎附近を徘徊中再び下加茂署員に検挙され精神異

常者として九日後后三時過ぎ洛北北岩倉精神病院に収容された。―

とっさに思ったことは、兄もいまこの記事をよんでいるだろうということだ。

                          ― 『ルイズ 父に貰いし名は』松下竜一より



ここで、まこととは辻潤伊藤野枝の間に出来た長男、辻まことのこと。

留意子は、大杉栄伊藤野枝の間に出来た四女の伊藤ルイ。


「・・・こんどの子は僕の発意で、ルイズと名付けた。フランスの無政府主義者ルイズ・ミッシェルの名

を思い出したのだ・・・が、うちのルイズはどうなるか。それは誰にも分からない。」と、父大杉栄にル

イズと名付けられた人。


伊藤ルイ。私も松下竜一『ルイズ 父に貰いし名は』(1982)でその存在を知った。

でも、それはそれまでの話にすぎなかった。

『海の歌う日―大杉栄伊藤野枝へ--ルイズより』(1985)、『必然の出会い―時代、ひとをみつめて』

などの、本人の著作からの話だ。

一個の「個」として、そんな人として目の前に現れたのは。


これは1983年1月に書かれたもの。


<小さな「国家」>

だれにとっても家族とは、わたくしごとであり内的なものである。その家族を「国」を構成する単位とし

ての「家族」として位置させ、日本独自の「国家」なるものを作り上げ、その家族の戸主を「家父長」と

して天皇制と直結させて家族の上に権限を揮わせる一方でその家族の生活、行為に関する一切の責任を持

たされ、統治の末端を担わされたのが明治憲法下の家族制度である。

かくて赤軍派学生の一人の父親を自殺に追い込んだ民衆の目は、いまも一人の人間を個として見る目を養

い得ぬままテレビに釘付けにされている。

皇族やタレントの家族に極悪人が出てこないのと同じように、ホームドラマにも「悪人」はでてこない。

いささかの「少女A」は登場するが、すべて教師や家族の「善意」によって「善人」となるか、ひどい

「悪人」は断崖から落ちて死ぬという仕組みである。

軍拡や行革が強行され、不況が進行する中で、いま中曽根によって「家庭基盤の充実」がいわれること

は、福祉切り捨ての予告であり、老人、子ども、障害者、失業者を「家族」の責任に帰していくことであ

る。それとともに「犯罪、非行」の真の原因を顧みることなく、この政治貴任をも「家族」に転嫁しよう

とする策謀の表れである。「家庭基盤の充実」ではなく「個人生活基盤の充実」が実現されてはじめて、

人と人(親子、夫婦、兄弟姉妹も)は解放された関係で結ばれるのだと思う。

                                ー『必然の出会い』より。



伊藤ルイさんの全国の草の根を紡ぐ市民活動。それは1976年に公表された両親と橘少年の虐殺の鑑定書を

見たのが始まりだったように思います。

74才を迎える直前癌の宣告を受けましたが、手術も延命措置もせず自然死を選ばれました。

1996年6月28日のことです。




<1976年8月26日、朝日新聞によって報じられた死因鑑定書の結論部分>

男女二屍ノ胸部ノ外傷ハ甚ダ高度ナルニ拘ラズ皮膚ニハ之ニ相当セル損傷無キヲ以テ衣服ノ上ヨリ加害ヲ

シ致死後裸体ト為シ畳表ニテ梱包ノ上井戸ニ投ゼシモノト推定ス。