秋 味

いつの間にか蝉がいなくなった。

今年、蝉はファイナル・ステージまで進めたのだろうか?

またも、蝉ファイナルで終わったのか。

「お前に心配される筋合いはないわい」と蝉に言われそうだ。


臭っさい川の近くで、高っかいマンションに見下ろされながらの秋だ。

聞こえてくるのは、爺さんの虫の息ぐらいしかない。

ビールが切れたが、予想通り酒屋が持って来たのは「秋味」だった。


でも朝晩の涼しさや、切り取られた窓のような空から秋が見える気もする。

季節があるのををうれしいと思う。

春の失敗を夏が、夏の誤りを秋が、秋の愚劣は冬が救ってくれるような気もするからだ。

茨木のり子の詩に、春が来て長靴から運動靴に履き替える事の新鮮を詠ったものがあった。

そんな具合な話だ。



辻潤が「ものろぎや・そりてえる」でこんなことを書いている。


虫が鳴いている-まさに秋だ。秋になると虫が鳴く

別段今更珍しいことでもない

子供の自分から幾度となく聴いているのだ。しかし、こうやって静かな真夜中にひとりで虫の啼いている

のを聞いていると-まことにいい気持ちで、なんとなく生まれてはじめて虫の啼くのをきいているような

気持ちがする。

いい気持ち!なのは自分がいい気持ちだからなのだ。



「ものろぎや・そりてえる」の意味がわからん。