低 人
辻潤の言う「低人」。
<ダメの人はダメの人として生きていくのだ>という決意がこめられているように思います。
それは諦観とかそういうことではなく、辻潤の言葉で次のようなものと思っております。
「人は生まれながらその人として完全である。その人として成長し、その人として死ねばそれでいいので
ある。「真人間」にも「超人」にも「犬」にも「仏」にもなる必要もなければ、また他から「なれ」とい
う命令を受けることも無用なのである。」( 『自分だけの世界』より )
「低人」は辻潤の造語です。
まちがいなくニイチェの「超人」に対するものとして考え出した言葉です。
「かくして江戸前の駄酒落と共に、彼の神学低人教は始まって来る。それは弱者の宗教であり、無産者の
宗教であり、エゴイストの宗教であり、性格破産者の宗教であり、そして同時に、最も純粋で悲しい近代
インテリの宗教なのだ。」と萩原朔太郎は書きます。( 『辻潤と低人教』より )
山本夏彦は『無想庵物語』のなかで、辻潤や武林無想庵を「ダメの人」としております。
「二人は共に野心がない欲がない、人を凌ごうとする気がない。これらはいわば「ダメの人」だと突然私
には分かった。( 『無想庵物語』より )
昭和7年(1932)3月末。辻潤は天狗になります。49歳の時です。
二階の窓から下の小屋根に降り、それから「とうとう天狗になったぞ、天狗に、羽が生えてきだした
ぞ…」と叫んで、経文を唱えながら、パッと飛び降りたそうです。翌日、「読売」に大きな活字で「辻潤
天狗になる」という見出しの記事が出たとあります...当たり前ですが骨折してます。
そして、辻潤は天狗になって以来、浮浪の日々を送ります。
ようするに狂ったわけです。
玉川信明の『ダダイスト辻潤』に、息子のまことが父親を迎えに行く情景が書かれております。
「東山寮へは息子が迎えに行ったが、その時、辻はちょうど日向ぼっこしていて、肩に雀が一羽止まって
いたそうである。一が近づくと、雀はいかにも名残りしそうに飛び去っていった。そして息子に曰く「俺
は気違いではない。気違いなんてデタラメだ。帰れるようにしてくれよ。お前も見たろう。雀が今まで俺
と遊んでいたんだ。雀が気違いなんかと遊べるかよ、なあ。」一は気違いだから雀が肩に止まったりする
んだよといいたかったが、いっても仕様がないので、ただ「ウンウン」聞いていた。」
辻潤は<佯狂>ではという見方もあるようですが、専門的なことはわかりません。
けど、普通に考えれば雀が肩に止まるような姿は狂っていると考えた方がいいと思います。
低人に戻ります。
世の中が戦時体制となり、いつのまにか周りは時局を賛美する文学者や哲学者たちばかりとなります。
ひとりだけ狂っていた辻潤は、ある意味で「ダメの人」であり続けたと思います。
辻潤は辻潤を生きたわけです。
そのことに私は惹かれているのだと思います。
昭和19年(1944)、61歳の年。辻潤は看取る者もなく死んでしまいます。餓死だったとされます。
<ダメの人はダメの人として生きていくのだ>という決意がこめられているように思います。
それは諦観とかそういうことではなく、辻潤の言葉で次のようなものと思っております。
「人は生まれながらその人として完全である。その人として成長し、その人として死ねばそれでいいので
ある。「真人間」にも「超人」にも「犬」にも「仏」にもなる必要もなければ、また他から「なれ」とい
う命令を受けることも無用なのである。」( 『自分だけの世界』より )
「低人」は辻潤の造語です。
まちがいなくニイチェの「超人」に対するものとして考え出した言葉です。
「かくして江戸前の駄酒落と共に、彼の神学低人教は始まって来る。それは弱者の宗教であり、無産者の
宗教であり、エゴイストの宗教であり、性格破産者の宗教であり、そして同時に、最も純粋で悲しい近代
インテリの宗教なのだ。」と萩原朔太郎は書きます。( 『辻潤と低人教』より )
山本夏彦は『無想庵物語』のなかで、辻潤や武林無想庵を「ダメの人」としております。
「二人は共に野心がない欲がない、人を凌ごうとする気がない。これらはいわば「ダメの人」だと突然私
には分かった。( 『無想庵物語』より )
昭和7年(1932)3月末。辻潤は天狗になります。49歳の時です。
二階の窓から下の小屋根に降り、それから「とうとう天狗になったぞ、天狗に、羽が生えてきだした
ぞ…」と叫んで、経文を唱えながら、パッと飛び降りたそうです。翌日、「読売」に大きな活字で「辻潤
天狗になる」という見出しの記事が出たとあります...当たり前ですが骨折してます。
そして、辻潤は天狗になって以来、浮浪の日々を送ります。
ようするに狂ったわけです。
玉川信明の『ダダイスト辻潤』に、息子のまことが父親を迎えに行く情景が書かれております。
「東山寮へは息子が迎えに行ったが、その時、辻はちょうど日向ぼっこしていて、肩に雀が一羽止まって
いたそうである。一が近づくと、雀はいかにも名残りしそうに飛び去っていった。そして息子に曰く「俺
は気違いではない。気違いなんてデタラメだ。帰れるようにしてくれよ。お前も見たろう。雀が今まで俺
と遊んでいたんだ。雀が気違いなんかと遊べるかよ、なあ。」一は気違いだから雀が肩に止まったりする
んだよといいたかったが、いっても仕様がないので、ただ「ウンウン」聞いていた。」
辻潤は<佯狂>ではという見方もあるようですが、専門的なことはわかりません。
けど、普通に考えれば雀が肩に止まるような姿は狂っていると考えた方がいいと思います。
低人に戻ります。
世の中が戦時体制となり、いつのまにか周りは時局を賛美する文学者や哲学者たちばかりとなります。
ひとりだけ狂っていた辻潤は、ある意味で「ダメの人」であり続けたと思います。
辻潤は辻潤を生きたわけです。
そのことに私は惹かれているのだと思います。
昭和19年(1944)、61歳の年。辻潤は看取る者もなく死んでしまいます。餓死だったとされます。