属したがる男

私のコーコーの先輩です。

なんでか自分の節目のたびに私の所に来るか、連絡してきます。

自称革命家→インド(新興宗教)→老舗宗教&企業戦士の歴史を持ってはる人です。


「大学?受験しますよ」と言った私を蔑んだ目で見て、

「現代世界の動態的把握とその批判を通じた革命の内実の獲得が・・・・・」で、

「革命前夜だぁ~、一緒に闘え!杉作」。

といつの間にか、杉作にされてしもうて、お蔭様で立派にコーコー退学になったんですけど。

まあ、それに恨みはないけど。

そうそう、鞍馬天狗の先輩は、ちゃんと大学卒業してはりました。


次がインドです。精神世界です。

バクワン・シュリ・ラジネーシです。

まだ、杉作状態の私の前に現れて、まだやってんのか?に続いてこう言いはりました。

「俺は神が見えた」

「げぇ、革命が見えなくなったら、神が見えるようになったんですか」

「そらまた、都合のいいノーミソしてはりまんな」

彼は、その時も私を蔑んだ目で見て、「タオがコミューンが・・・・・」ゆうてました。

田尾や八尾なら知ってるけど、タオは知らん。

関係ないですけど。この「精神世界」ブームのおかげで老荘を読むのがずっと先になりました。

ブームはアカンのです。


老舗宗教、企業戦士の時もまあ似たようなもんです。

何しろこの人は頭はいいから、属す度にその組織の理論をきれいに消化しはります。

もうすぐ退職らしいのですが、またぞろ(この言い方が適切かも)NPOかなんかやってるらしい。


私は履歴書まじめに書くのが面倒なくらいに仕事を転々としました。

先輩は会うたびに「お前は自由でええなぁ~」と蔑んだ目で私を見ます。

私は、この先輩の結婚、子供の誕生、大出世、家購入、子供の結婚、孫の誕生の時の話以外に肉声を聞い

たことがないような気もしてます。


なんでそこに属したのかを聞くと、もう属した組織の言葉で動機を語るようになってしまう。

そんなことは結構多いようです。



いつもの文章を貼り付けておきます。


神や人類が何物にも患わされずに、ひたすら自分のために生きているとすれば、僕らも僕らのこと以外に

は、何物にも患わされずに生きたらどうであろう。

もし神様や人類がすべての内容を持っているとすれば、それはそれで承認しよう。要するに僕は何も持っ

ていないことになるのだ。

だが僕は何も持っていないが故に、これからすべてを獲得する。

無から、僕自身は創造者として一切のものをつくりあげる。

僕の事でないものは全部去れ!

僕の事は善でもなければ悪でもない。神の事は神の事。人間の事は人間の事である。

僕の関心事は、神のことでもなければ人間の事でもない。

唯一無二のわが事でしかないのだ。僕にとって僕以上のものは何もない!


             シュティルナー『唯一者とその所有』(辻潤訳/『自我教』)