永遠の今という考え方がそこにあらわれる

【以下は全て引用です】


永遠の今という考え方が、そこにあらわれる。

この考え方は、人間とともにあったと言えるかもしれない。

哲学史の上で、何度か、この考え方はあらわれる。

大学で哲学を講じるものは、明治から大正にかけて、この考え方にふれることがあった。

しかし、世界を何もないものと見て、同時にその一瞬である今を、すぎさらないものとしてみる見方は、

金子文子の場合、自分に死刑を宣告する国家に対する一つの宣言としてのべられている。


この手記は、翻訳書からきりはなされた抽象語をたのみにして、自分の思想上の立場をきずき得ると考え

てきた、戦争の十五年をとおしてさえ、あまりかわっていない今日の日本人の知識人の足もとをてらす。


重大な思想が、正規の教育制度内の勤勉な学習によってのみそだつと信じている人にとって、金子文子

手記は、誰かがかわって書いた偽書のように見えるだろう。

誰が書かせたかといえば、日本の国家が書かしたのであり、国家に対してひとり立つものとして彼女はこ

の手記を書いた。


金子文子は、明治以降の日本思想史から説明しにくい。そのあらすじから、はずれてしまう。このこと

は、反対に見れば、私たちひとりひとりの内部に、この国の思想史に還元できないものがひそんでいると

いうことへの手がかりになる。


獄中でこの人の書いた手記は、自分自身の手づくりの哲学を持っていたことを示している。

大正から昭和にかけて数多くの日本人が石川啄木を読み、マックス・スティルナーを読んだ。大学生や教

授たちとは、ちがう読み方を金子文子がしたことはたしかで、そのちがいは、文子の自決後に、スティル

ナーの読者たちに、辻潤のような例外を別として、おとずれた思想上の変化をしてあきらかになる。金子

文子の手記が、日本の思想史の舞台の全体をてらしだす力をもつのはこの故である。



●筑摩叢書286/『何が私をこうさせたか』金子文子鶴見俊輔による解説より。