斬られの仙太

先週は加藤泰の『明治侠客伝 三代目襲名』をやってた、KBS京都の「中島貞夫の邦画指定席」。

今日(10/18)は、山本薩夫監督の『天狗党』(1969)、主演が仲代達矢をやるようです。


封切映画を観ることに積極的ではないです。

たぶん、若い時からの場末の映画館でばぉ~と映画を観る癖が抜けないのだと思います。


天狗党』の話です。

原作は三好十郎の『斬られの仙太』です。

三好十郎という人は、宍戸恭一の『現代史の視点―進歩的〉知識人論』で知りました。

「もしできるならば、自身の生活と仕事にいそしんでいる私の仕事そのものが、そっくりそのままで角度

をかえてみれば抵抗の姿そのものであったというふうにありたい」なんて言ってた人です。

そんな三好十郎のことは、宍戸恭一の話を聞くのがいちばんかも知れません。

ちょうどその時期に、三好十郎という男が清水幾太郎を痛烈に批判したんです。

そのころ一般的には清水はまるで平和運動の闘士みたいにされてたでしょ。

三好十郎が清水幾太郎のやり方は足が浮いてるやないか、大学ちゅうけっこうな泥沼から辺りをうかがい

ながら顔を出して進軍ラッパを吹いてる、調子が悪くなったら泥沼に隠れたらいい、あいつはそれをやっ

てるちゅうわけですよ。

人を評価する場合にはそいつがどういう足場の上に立って行動しているかというのを見るのが大事だと、

清水の足場は泥沼や、そういう奴の言うことを聞く方が間違いやと。

ズシーッとくるわけですよ。すごい奴が出て来たな、こういうことを言う三好十郎はいったい何をやって

きた人か、遡って調べたんです。

そしたら、若いときは詩も書き、絵も描いたり、劇作家ですし、資料を集めたら、やっぱり彼も戦前はヒ

ューマニストで、大正の末、早稲田の学生時分に、ひどい目に遭っている人を救いたい、その効果的な方

法は共産党やないかと思い、彼も共産党に入るんです。

入ってみたら、違うんですよね。あのころはナップ(全日本無産者芸術連盟、1928創立)とかコップ

(日本プロレタリア文化連盟、1831結成)の方針に基づいて、皆、書くんです。忠実な党員はそうい

う仕事しかやらんわけですよ。

彼はそれに反発を感じる。直接、教条的なことを書かなくても、自分の目と足で確かめた悲惨な状況を描

いてみせて、読者にその根本は何かということを考えさせる、そういうものを書いた。初期の代表的な作

品は『疵だらけのお秋』(1928)ていうのがあるんですが、すごい作品や思うんですわ。村山知義

んかの作品と較べてみたら大違い、歴然としてます。そんなことしてたら中央からにらまれる。それでも

まあ三好は白眼視されながらも昭和9年まで続けるわけですが、そのころから大転向期ていうのが始まる

でしょ、そこに到って彼は『斬られの仙太』ていう作品を書く。

幕末に水戸天狗党っていうのがありました。最初は味方を増やすために百姓町人を入れる、ところが追い

込まれてくると、百姓町人と群れをなしたと言われるのが嫌でバッサリ斬っていくわけです。

組織と係わった人間の問題、自分自身のことをそこで書いてる。



国家も革命政党も宗教組織も企業も、とにかく組織ってものは都合が悪くなると【現実】の方を切り捨て

るようです。変わりませんなあ。

そういえば、山田風太郎も「天狗党」には関心が高かったように思う。


宍戸恭一さんは京都で三月書房という書店をやってられた方です。三月に開業したので三月書房だそう

で、三月革命とは何の関係もないそうです。

いまは、息子さんがやってはります。ガッコーに行かなかった私には、その棚自体が先生みたいな書店で

す。最近は行かれへんけど。



ところで、今日の映画ですけど監督が山本薩夫だけにちょっと不安があります。

あの人、将棋の駒みたいにしか人間を動かさんからなあ。

映画観てパッとせんかっても、原作はええですから機会があればどうぞ。