甘粕正彦

甘粕正彦は、満洲映画協会理事長だった。

昼の満州関東軍が、夜の満州は甘粕が支配すると言われていたそうだ。満州の芸能界の親分だ。

訳ありで国内にいられなくなった芸人、食い詰めた芸人、一旗あげようと満州にやってきた芸人と彼らは

だいたい甘粕のお世話になっているという事だ。


例えば、香具師の啖呵売の復活、保存に大きな役割を果たした坂野比呂志の『香具師の口上(たんか)で

しゃべろうか』という本の中にも、甘粕は庇護者として登場する。

板野に限らずだけど、森繁や小暮美千代も甘粕の思い出を語っている。

森繁は「満州という新しい国に、われわれ若い者と一緒に情熱を傾け、一緒に夢を見てくれた。ビルを建

てようの、金をもうけようのというケチな夢じゃない。一つの国を立派に育て上げようという、大きな夢

に酔った人だった。 」と語っている。


いま、瀬戸内寂聴の『美は乱調にあり』、『諧調は偽りなり』を読んでいる。

この二冊、「大杉栄と結婚し、関東大震災のどさくさの時、甘粕憲兵大尉の手で、大杉やその甥の橘宗一

と共に虐殺された伊藤野枝の短い生涯を書こうとした」ものだと瀬戸内自身が書いている。

しかし、前編の『美は乱調にあり』刊行後、瀬戸内に寄せられた多くの予想外の声に驚き、混乱する。

それは甘粕善人説であり、甘粕擁護の声だ。

「中には仕事で知り合ったテレビ局の局長や、編集長にまで同じことをいう人があらわれてきた」とまで

書いている。

ついには瀬戸内自身が「あまりにも次々と押し寄せてくる甘粕善人説を聞いているうちに、見定めていた

つもりの甘粕像に黒い霧がかかってしまい…そんなあいまいな人間の殺人現場が、どうしても私には書け

そうにない。思いあぐねた末、私は一応前編とするつもりで『美は乱調にあり』を手放したのであった」

と書いている。


そんな瀬戸内が、自作『京まんだら』のモデルとなった京都のお茶屋「みの家」の女将が甘粕の恋文を持

っていると聞かされる。

その話は置いとくとして、女将は甘粕から事件のことを聞いたそうで、こう回想している。

甘粕はこう語ったそうだ。「それは本当の話だよ。私は大杉栄と野枝と、大杉の甥の橘宗一という子供を

殺して、軍法会議にかけられた。刑に服して出てきたんだ。おれは軍人だったからね。軍人は命令に従わ

なければならん。あれは上からの命令でやったんだ…子供は可哀そうなことをした。今でも可哀そうなこ

とをしたと思う」。


もしそれが本当なら、甘粕正彦さんよ。あんさん只のサラリーマンだったんですかいな。

まあ、そっちの方が根が深くて、今に続く問題ではあるけど。

まだ読んでる最中なので、とりあえず気になったところを書いておきました。


甘粕は、子供を殺したことを可哀そうなこととしている。また大杉栄のことは思想はよくわからないが、

人物は立派だったと言っている。

命令だったとするのか?そういう時代だったとするのか?つまりは、止むを得なかったとしているのか?


止むを得ないこと?そんなん、あんさんが負いなはれや!

人に負わすな!・・・思うたりする。



『美は乱調にあり』と『諧調は偽りなり』は「瀬戸内寂聴全集11」(新潮社)より。