も ち

田舎に住む姉から、今年はどれくらい送ろうかと電話があった。

餅。

お餅も入ってべたべたと安くてどうもすいませ~んは林家三平だけど関係なかった。


この頃のスーパーなんかで買う餅は根性がない。

口にいれる前から溶けている。「お前誰や?」

「何ゆうてまんねん、餅でんがな。一応、粘ってますやろ?」

そんな奴らが多いのだ。

やはり、餅は口に入れたら「おっ!お前、餅かぁ、ガッツあんなぁ」となるべきだ。

「おおきに、餅だす。この粘り根性おますやろ!」

そんな餅がいいのだ。

別に大阪弁の餅でなくてもいい。いや、餅が喋ったら普通に気持ちが悪い。


実は私にも三原則がある。こんなやつだ。

くどい! しつこい! ねっちこい!

世間が「竹を割ったような性格」を男らしいと賞賛している時代に逆らってきた。

ひとり「餅をついたような性格」を守り続けてきたのだ。

それがどうしたと突っ込まれても困るのだけど。まあ、そんなんだ。

餅男になって随分たつ。しかし密かに狙ってた、棚から牡丹餅はありそうにもない。

だから、そろそろ餅男を返上しようと思うのだ。


ところで、棚から牡丹餅と言えば、三文字屋金平の『為文学者経』だ。

こんなふうな書き出しだ。


棚から落ちる牡丹餅を待つ者よ、唐様に巧みなる三代目よ、浮木をさがす盲目の亀よ、人参呑んで首縊ら

んとする白痴(たはけ)漢(もの)よ、鰯の頭を信心するお怜悧連よ、雲に登るを願ふ蚯蚓(みず)の輩

(ともがら)よ、水に影る月を奪はんとする山猿よ、無芸無能食もたれ総身に智恵の廻りかぬる男よ、木

に縁て魚を求め草を打て蛇に驚く狼狽者よ、白粉に咽せて成仏せん事を願ふ艶治郎(ゑんぢらう)よ、鏡

と睨め競をして頤をなでる唐琴屋(からことや)よ、惣て世間一切の善男子、若し遊んで暮すが御執心な

らば、直ちにお宗旨を変へて文学者となれ。(三文字屋金平『為文学者経』より)


全文はここにある→http://www.aozora.gr.jp/cards/000165/files/891_20724.html


三文字屋金平は内田魯庵のことだそうだ。

いま、負荷さん(http://blogs.yahoo.co.jp/rrrdx928)の書庫が面白くなっている。

その書庫の中に、三文字屋金平があったのでネットで探して読んだのだ。

もの凄く面白かったのだが、ここで感想を書くつもりはない。


何を隠そう、ようやく文章の落ちがついたので、ほっとしているのだ。


(´・`;)>フウ。