ヨキミセサカエル

ヨキミセサカエル

スーパーで働いていたとき、レジの右側に配列されてた商品分類キーにつけられた名称だ。

ヨキミセサカエルは、良き店栄えるの意味だ。

ヨキコトキク(斧・琴・菊)の犬神家一族とは何の関係もない。


ヨキミセサカエル。

例えば、衣料品のフロアなら「ヨ」が紳士、「キ」が婦人で「ミ」が子供というような具合だ。

値札は基本的には価格情報しかないので、分類は頭で判別して値段を打つ。

子供服1000円とするとこうなる。

目で分類を確認→「ミ」入力→1000入力→預り金入力→清算の流れになると覚えている。

ようするに、レジ打ちにはそれなりの技量と計算能力が要求されたのだ。

当然のことだけど、売り場の商品にも精通していなければ駄目だ。

だから、客がいちばん並ぶであろう列のレジには、そういう熟練者がレジに立つ。

だいたい、いちばん出口に近いレジに客が並ぶから、そこだ。

端のレジが空いてるからとそっちに行くと、新米のレジだったりして逆に時間がかかったりする。

これは今でも変わってないように思う。


いまはスーパーのレジも入力もバーコードリーダーでやる。

私はバーコードが嫌いだ。私の毛髪との関係は・・・ある。

当然、バーコードに商品情報も入っている。

ピッピッピで合計金額が出て、預り金を入力すれば済む。

売上データは集計され、商品の発注、展示に反映される。当たり前だ。

極論すれば、現場は画像を含んだ指示書通りに商品を陳列し、売上はピッピッピと入力すればいいのだ。


SA(ストア・オートメーション)。アメリカでの発展事情については、いまほどメディアに露出していなかった寺島

実郎が分析していた。

アメリ軍事産業の停滞→技術者の民間流出と「読み書き算盤」能力のない低賃金労働者の活用がポイン

トだったと覚えている。

寺島実郎中西輝政…とメディアに露出しすぎると、面白い事を言う人もただの文化人に変身する。


関係なかった、話を戻して。

「読み書き算盤」は出来なくてもいいから、というか出来ないからこそ低賃金で雇用できる人材を探す。

海外からの調達か国内で調達するか?

今のところ、国内調達の方向で進んでいるのか。そういう人材育成の教育方針が見える気がする。

国家や資本はそういうことを要求するのだ。

明治初期、近代国家へと変貌するための資本蓄積は農村を植民地化して成し遂げられたものだ。


地べたで生きる人間からしてみれば、、その時と今とほとんど変わりはない。


ところで、「読み書き算盤」は出来なくても愛想=笑顔は要求される。

そうすると、笑顔を商品化することを批判する人も多く出てくる。

作られた笑顔だとか、感情までも金に支配されるとかイロイロ言う。

だけど、そんな人たちも北の国の売り場の無愛想な態度や、旧社会主義国家のそれを非人間的だとする。

勝手な人が多い。

あの無表情は、感情を商品化しない極致だと思うのだ。


そんなんです。