せ け ん

世間体。

今どきの若い人で、これを「せけんたい」と読む人もいるような気がする。

「世間」という言葉が好きだ。「渡世人」というのも好きだ。

 渡世人http://blogs.yahoo.co.jp/tei_zin/20246745.html

自分の身の丈にちょうど合うし、そこでしか生きてない。

世界市民なんて言葉を聞くと「世界は一家、人類はみな兄弟」とどこが違うのかと思う。

宇宙船地球号」となると、イナバウアーしてしまう。ようするにのけ反る。


世間・・・以下は阿部謹『教養とは何か』からの引用です。


「世間」は古来わが国の国家体制の下部構造として組み込まれたことはなかった。

人々が「世間」を世の中として謳ってきたものは国家でも社会でもなく、人々が長い間育んできた現社会

とでもいうべきものであった。

おそらくそのはじめは地域の神々を中心とする信仰の場であったと考えられる。国家機構と直接関係をも

たず、その下部機構になったこともないために、「世間」は人々が世界を見るときの基礎となり、誰もが

「世間」という言葉でそれぞれの視角でその時々の世の中を見ていたのである。

「世間」は人々の生活の枠組であり、、人々の世界観でもあった。生活の基準でもあったのである。

「世間」には目に見える標識もなく、堅い仲間意識があったわけでもない。しかし特定の自然環境の中で

熟成されてきた共通認識がありそれは緩い結びつきでありながら、しぶとく人々にまつわりついてきた。
(略)
国家形成が進み、都市化が進展し、近代化が始まると、「世間」も変化を迫られた。なによりも自然環境

の変化によって「世間」のなかで人間関係が強く打ち出されることになった。国家形成も都市化も近代化

も必ずしも人々の生活にすぐなじむものではなかった。人々はこうした動きの中で抵抗の意志を秘めて

「世間」を維持し続けてきたのである。

「世間」は人と人とを結びつける原基的意識形態であったからである。
(略)
「世間」の中で人は人と結ばれ、争い、そして死んでゆく。そこには制度の力の及ばない何かがある。そ

れは「世間」の力である、人々の力である。

「世間」は制度になりえなかったために、人と人が結び合う具体的な場となり、その中で制度の中枢にい

る権威も大きな力を振るうことはできなかった。


国家とは違うものとしての「世間」が溶けてきてるように思います。

お上は許しても、世間は許さんのじゃい!というのは、最近減りつつあるようです。


阿部謹也の「世間」に関する本。こんなのがあります。

*『「世間」とは何か』講談社現代新書
*『「教養」とは何か』同上
*『日本人の歴史意識-「世間」という視角から-』岩波新書

阿部謹也は今年の九月に亡くなられました。

読み直して、また何か書いてみようと思います。