「食」の方言のこと
え~と、とりあえず人類は麺類。ヽ(^o^)丿。
蕎麦・饂飩の「きつね」と「たぬき」。東京と大阪の違いについて書いたわけですが、大きな問題が残っ
ております。
それは、なぜに「狐」と「貍」なのかであります。
初めて日本を訪れた外国の方を、蕎麦屋なんぞに招待しようもんなら大変な誤解を生みそうです。
ワラシガ ソバ クッテルトキ ミナガ「ナンバン」、「ナンバン」イウノデス。
ワラシハ 「ナンバン」ノカンジ シッテマス。ソレ南蛮デス。
ワラシ ハ ミナミノ ホウカラ キマシタガ ヤバン チガイマス。
カステラ イチバン デンワハ ニバン モ 南蛮トライデアリマス。
ワラシ ハ タイヘン カナシイ キョウコノゴロデス。
デモ ニホンジン モット ヤバーンデス。
ナジェナラ ニホンノヒトハ 「キツネ」ヤ「タヌキ」ヲ クッテルデハ ナイデスカ!
なんてことになるかも知れない。
麺類の「タヌキ」や「キツネ」がどういうものかを説明するほうが簡単で、なんでそんな名前やねん?の
突っ込みに答える方がはるかに難しいのであります。
狐や狸が化ける、化けて人を騙すという事を外国の人に説明するのは相当に大変であります。
「羊羹」があります。
芥川龍之介は「羊羹」という字を不気味に思い、好きになれなかったそうです。
調べてみましたら「羊羹」は鎌倉時代から室町時代に、禅僧によって日本に伝えられたが、禅宗では肉食
が戒律、五戒により禁じられているため、精進料理として羊肉の代わりに小豆を用いたものが、日本にお
ける羊羹の原型になったとされる。とWikipediaにありました。
こんな具合に伝わったものが、その土地なりに変形されることは普通にあることです。
「焼き鳥」も鶏とは限りません。焼き鳥として「豚肉」や「馬肉」が普通である土地もあったりします。
餅の角・丸問題。
稲荷寿司の三角・俵問題。
鰻の背・腹開き問題といろんな違いがあります。
当然ですが、それぞれに理由はあります。
その土地の「食」の習慣を言葉と同じく「方言」として考えようというのがあります。
『食べ物・新日本奇行』です→http://weekend.nikkei.co.jp/kiko/newmap/2006/
なぜそうなったのかを考えながら、見てみるのも面白いかと思います。
宮本常一の『忘れられた日本人』に「味噌ブタ」が出てきます。
「味噌ブタ」が紹介されている場所は、鹿児島県喜界島です。
こんなんです。
いま行ってもまだ味噌ブタはあるだろうか。
仮にあったとしてももうそこに住んでいる人たちはすっかりかわってしまっているだろう。
あの味のよさは、味そのものがよかったばかりでなく、そこに住んでいる人たちのあたたかなもてなし
にもあったので、近頃のように味そのものだけが問題にされる味のよさとは違ったものであった。
宮本常一/忘れられた日本人・すばらしい食べ方
この時、宮本常一は胃潰瘍を患っていたのですが、そんな時食いたいと思ったのがこの味噌ブタだったそ
うです。それから、この味噌ブタは、ソテツ味噌を使うのですが、ソテツを味噌にする。そんな、その土
地の暮らしぶりも当然ですが、きちんと触れております。
ソテツには毒があります。
言葉の方言が消えつつあるように、食べ物の方言も先行きが危ういように思います。
あんまりいい傾向ではないようです。
そんなんです。
蕎麦・饂飩の「きつね」と「たぬき」。東京と大阪の違いについて書いたわけですが、大きな問題が残っ
ております。
それは、なぜに「狐」と「貍」なのかであります。
初めて日本を訪れた外国の方を、蕎麦屋なんぞに招待しようもんなら大変な誤解を生みそうです。
ワラシガ ソバ クッテルトキ ミナガ「ナンバン」、「ナンバン」イウノデス。
ワラシハ 「ナンバン」ノカンジ シッテマス。ソレ南蛮デス。
ワラシ ハ ミナミノ ホウカラ キマシタガ ヤバン チガイマス。
カステラ イチバン デンワハ ニバン モ 南蛮トライデアリマス。
ワラシ ハ タイヘン カナシイ キョウコノゴロデス。
デモ ニホンジン モット ヤバーンデス。
ナジェナラ ニホンノヒトハ 「キツネ」ヤ「タヌキ」ヲ クッテルデハ ナイデスカ!
なんてことになるかも知れない。
麺類の「タヌキ」や「キツネ」がどういうものかを説明するほうが簡単で、なんでそんな名前やねん?の
突っ込みに答える方がはるかに難しいのであります。
狐や狸が化ける、化けて人を騙すという事を外国の人に説明するのは相当に大変であります。
「羊羹」があります。
芥川龍之介は「羊羹」という字を不気味に思い、好きになれなかったそうです。
調べてみましたら「羊羹」は鎌倉時代から室町時代に、禅僧によって日本に伝えられたが、禅宗では肉食
が戒律、五戒により禁じられているため、精進料理として羊肉の代わりに小豆を用いたものが、日本にお
ける羊羹の原型になったとされる。とWikipediaにありました。
こんな具合に伝わったものが、その土地なりに変形されることは普通にあることです。
「焼き鳥」も鶏とは限りません。焼き鳥として「豚肉」や「馬肉」が普通である土地もあったりします。
餅の角・丸問題。
稲荷寿司の三角・俵問題。
鰻の背・腹開き問題といろんな違いがあります。
当然ですが、それぞれに理由はあります。
その土地の「食」の習慣を言葉と同じく「方言」として考えようというのがあります。
『食べ物・新日本奇行』です→http://weekend.nikkei.co.jp/kiko/newmap/2006/
なぜそうなったのかを考えながら、見てみるのも面白いかと思います。
宮本常一の『忘れられた日本人』に「味噌ブタ」が出てきます。
「味噌ブタ」が紹介されている場所は、鹿児島県喜界島です。
こんなんです。
いま行ってもまだ味噌ブタはあるだろうか。
仮にあったとしてももうそこに住んでいる人たちはすっかりかわってしまっているだろう。
あの味のよさは、味そのものがよかったばかりでなく、そこに住んでいる人たちのあたたかなもてなし
にもあったので、近頃のように味そのものだけが問題にされる味のよさとは違ったものであった。
宮本常一/忘れられた日本人・すばらしい食べ方
この時、宮本常一は胃潰瘍を患っていたのですが、そんな時食いたいと思ったのがこの味噌ブタだったそ
うです。それから、この味噌ブタは、ソテツ味噌を使うのですが、ソテツを味噌にする。そんな、その土
地の暮らしぶりも当然ですが、きちんと触れております。
ソテツには毒があります。
言葉の方言が消えつつあるように、食べ物の方言も先行きが危ういように思います。
あんまりいい傾向ではないようです。
そんなんです。