伊藤野枝の三冊の評伝

岩崎呉夫の『炎の女 伊藤野枝伝』(1963.2.10 第二版 ㈱七曜社)を図書館から借りて読んだ。

いつもなら図書館から借りた本に鉛筆などでラインを引いたりしているのを見るとドアホ!と呟いてしま

うのだけど、これは違った。

例えば、「?」と薄く鉛筆が入っている部分はこんな文章だ。


?「大学どころか中学(開成中学二年中退)すら満足にいけなくなった辻は、アテネ・フランセや国民英

学会の英文科に聴講にいき、好きな語学を習得して将来の身をたてようと考えたのである。」(p.70)


辻潤アテネ・フランセ?はじめた聞いた。

たぶん、辻潤が読売新聞の特置員(特派員ではない)としてフランスに行ってるので、推測して書いたの

ではないかと思う。けど、辻潤はフランス語は出来なかったし、アテネ・フランセに行ったと書いたもの

を読んだ事はない。

というわけで、事実として?と思うところに「?}や少しの書き込みが入っていたのだ。

思わず、どうもありがとうございますと言いかけたのだ。

まあ、辻の誕生日すら間違ってるわけだから救いようがない。

同じような事を書いている人がいた。この件については、ここを参考にしてもらえればと思う。

辻潤アテネ・フランセに学んだか?
   →http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/2243/TJ_Hibiki/Athens.html


この『炎の女』(岩崎呉夫)の前に『美は乱調にあり』、『諧謔は偽りなり』(いずれも瀬戸内寂聴)と

伊藤野枝の評伝を連続して読んできた。評伝とは「 ある人物について評価を加えつつ書かれた伝記」だ

そうだ。


思想というものを説明する力はない。それに昔から「お前には思想性がない」とエライ人から言われ続け

てきた男だ。

そういうものを幸いな事に持ってないのだろう。

とはいえ、バッテイング・フォームみたいなもんは誰しも持っているように思う。

オレこのスタイルで勝負するもんね!みたいなやつだ。


伊藤野枝の生涯はけっこう劇的ではある。

福岡の田舎で向学心に燃えていた。向学心といっても、読み書き算盤ではない。

卒業後の結婚を約束に学費を出してもらい東京の女学校に進学する。

進学先の学校で、辻潤と出会う。卒業後、約束どおり結婚するも辻潤を慕って再び東京へ行く。

辻潤との暮らしの中で『青鞜』グループと出会い、めきめきと成長する(辻潤曰く)。

大杉栄と出会い辻と別れる。堀保子、神近市子と大杉を巡って泥沼に入るもついには大杉と結ばれる。

関東大震災直後に憲兵、甘粕らによって虐殺される。

伊藤野枝http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/itonoe.htm


読んだ三冊の評伝に戻る。

ここには、劇的であった伊藤野枝の生涯は書かれているが、それだけでしかない。

辻潤に惹かれ、大杉栄に惹かれする伊藤野枝がいるだけだ。

「野枝の生涯を跡どりながら、しきりに人間の(ことには男女間の)「めぐりあい」の不思議さ、おもし

ろさに想いふけざるをえなかった。」と岩崎呉夫は書いてたりする。

ようするに、伊藤野枝が劇的だったから題材としたのであり、虐殺されるような、どのようなバッティン

グ・フォームをしていたのかについては迫ろうともしないのだ。

とうぜん、辻潤大杉栄についても同じだ。


ブログ検索で伊藤野枝についての記事を少し読んでみた。

多くは瀬戸内本を読んでの感想だ。そして、多くは恋して愛して虐殺された劇的な女としての感想だ。

そうなるのも当たり前でしかない。


宍戸恭一が「辻潤生誕」かなんかのイベントで瀬戸内がくるなら行かないとした騒動があったように記憶

している。たしか、大月健氏の『虚無思想研究』の誌上で読んだように思う。

ようやく、その事が納得できた気がする。

相変わらず、アホは反応が遅い。


『美は乱調にあり』を書いた縁で私は野枝を知ったばかりでなく、野枝に影響を及ぼした大逆事件の菅野

須賀子を知り、野枝の影響を受けたやはり大逆事件金子文子にめぐり逢った。この三人の若い女性は共

に革命を志し、権力の暴虐によって若い命を無残に絶たれた人たちである。」と瀬戸内は書く。(『昏き

闇より』74.1)

『晴美と寂聴のすべて』(集英社)は瀬戸内の0歳からを自身のエッセイで時系列に並べたもの。

その中から、『美は乱調にあり』、『諧調は偽りなり』前後のエッセイを読んでみたが、上のようなもの

しか出てこない。徹底して、どのような「構え」をその人が持っていたかを書かないままでいる。


瀬戸内は辻潤の事を聞くために松尾邦之助を訪ねている。

「筆達者な瀬戸内さんも、思想の方は、まったく苦手らしく、その後、彼女の書いたものにも、思想家と

しての辻潤については、ほとんど書いてなかった」と松尾は書いている。

松尾邦之助は「辻潤」の発掘者といっていい人だ。


瀬戸内と言う人は出家するわけだが、なにかと個人的に格闘しながらも、最後的には仏教らしきものにさ

っさと溶けてしまうわけだ。

それって最後には翼賛会に溶けてしまった人たちがいるけど、思考回路が一緒やんけと思ってしまう。


娘の伊藤ルイさんが、覚悟を決めて母である伊藤野枝を追求した本がある。

そこには独自のバッティング・フォームをもった伊藤野枝がいたりする。