おっサンテレビとえいちゃんとドージョーさんと

阪神ファンなのは間違いない。

自分の記憶を、1985年より前か後かで整理してるくらいだから。あの年はすごかった。

ほんでもこの頃は、万年優勝候補になってりしてストーブ・リーグがオモロなかったりする。

ずっと前は、リーグ戦最下位でストーブ・リーグ首位のチームやった。

毎年ゴタゴタがあって、心底腐ったチームだった時もある。


江夏豊は自伝『左腕の誇り』の中で、「阪神の長田球団社長から10月20日の中日戦の前日に呼び出され、

明日の中日戦には勝つなと八百長を指示された」と書いたりしている。

これは当時の江夏と球団の関係や阪神球団の事情なんかもあるから、そのまま受け止めていいかどうかは

わからん。ただ、江夏は今でもこの記事を訂正はしてない。

ファンも「それ、あるかもなぁ」と思ってしまう雰囲気があったのはたしかだ。


特にこの1973年の、あと1勝で優勝というところまでせまっていた10月20日の中日戦での敗戦とその後の

甲子園での巨人戦での大敗は忘れられない。巨人V9最後の年の事だ。

試合中の阪神、中日の横を(当時の名古屋球場)新幹線で巨人ナインが通り過ぎるというシーンは『巨人

の星』にも描かれてたように思う。


ところで『六甲颪』のことだけど。

なにしろ、阪神勝ったら歌うし、結婚式でも歌ったりする。

阪神ファンは誰でも、いつでも、どこでも、どんな時でも、何をおいても、親が死んでも、会社が倒産し

ても、ミサイルが飛んできても、ゴジラ大阪城を壊しても…これくらいでええか…歌っていると思って

るみたいだ。


そんなことはないのだ。

むかしから『六甲颪』をファンは歌ってはいなかったし、そもそも他球団と同じで巨人戦以外は甲子園も

ガラガラだったりしたのだ。


六甲颪』はどっからきたか?

おそらくだけど、その功労者は<エイちゃん>だと思う。

カンサイで<エイちゃん>は矢沢永吉でなく、中村鋭一のことだ。元アナウンサーで参議院議員の。

その鋭ちゃんが、1971年から『おはようパーソナリティ中村鋭一です』という朝日放送のラジオ番組で、

阪神が勝ったら、翌日『六甲颪』を必ず歌ったのがキッカケやないかと思っている。

それを後押しするように、阪神球団が経営するテレビ局と間違われたりする、神戸のサンテレビ阪神

の完全テレビ中継『テレビボックス席』が70年から始まっている。

ここいら辺りが『六甲颪』が広まった原因やないかと思うたりする。

「おはようパーソナリティ」は、中村鋭一の後は道上洋三が引き継いで続いてる。

この道上さんは、「コマダイトマコマイ」を必ずといっていいほど噛んだりする。

【こまだいとまこまい→http://blogs.yahoo.co.jp/tei_zin/17907127.html


この頃の阪神ゆうチームを取り巻く環境がちょっと気持ち悪かったりする。

図書館に行ったら<阪神>に関する本はぎょうさんあるけど、ほとんどがヨイショ本だったりする。

井上章一の書いた『阪神タイガースの謎』が読みごたえあったくらいだ。

阪神がトップ記事のデイリー・スポーツがその紙面のまま首都圏進出したり、吉本の変容もある。

M-1は、師匠のいない養成所出身の漫才師のコンクールのように思うたりする。

何より阪神と阪急がくっついた。

昔は西宮球場で宝塚デーゆうのがあって、宝塚の皆さんが応援に来てたりしたけど、今度は甲子園にも現

れるのか?それとも岡田監督や平田コーチが宝塚の舞台に立つのか?

ケチックスはどこに行きたいのか?

そんな関西球団のケッタイな変貌を書ければいいなぁと思うけど、とりあえずは今期の優勝が先か。

そんな事を書いたりする事もあると思うので、書庫を作ったりしました。

過去の阪神絡みの記事もまとめました。


書庫の名前を【邪(よこしま)な縦縞】にしました。


ヨコシマなタテジマでチェッカーズやぁ・・・古ぅ~。


そんなんです。