新聞の書評欄

書評はけっこう読んだりする。

まず、書評掲載されたものは、ほぼ図書館が購入しているという事情がある。

また、書評が出てもこれは購入しないだろうと思われるものは図書館にリクエストする必要がある。

その辺りは勘でわかるようになってしまった。

書評では、評者の考えをかなり無視する。ただし、この本は、だいたいこんな具合ですよという点は簡潔

に書かれているので、その点を利用している。


そんなんで今日の書評からです。

●『再起』ディック・フランス

<競馬シリーズ ハレーが帰ってきた>と見出しがある。書評は池上冬樹となっている。

これが40作目らしい。

このシリーズで何度か登場しているシッド・ハレーが再び登場だそうだ。

ずいぶんと前にアホ友達のF元君から読め!といって読まされたけど面白かったのだ。

競馬はしないし、イギリスの競馬事情もわからない。ディック・フランス自身は一流の騎手だったそうだ

が、決して「馬」の話だけを書いてはいない。

このシリーズのタイトルは漢字二文字で統一されている。40作もあると、とうぜん出来不出来はあるけど

も大雑把に見てみんな面白いと思う。


ところで、jyhs0114さんが「ミステリ」という区分について書いてはったけど、「ミステリ」という区分

は私にもよくわからない。私は出版社の営業上の理由からかと思ったりしている。

http://blogs.yahoo.co.jp/jyhs0114/27108026.html

前にちょこっと『利腕』のこと書いたりした→http://blogs.yahoo.co.jp/tei_zin/8930068.html


●『大菩薩峠論』成田龍一日本女子大教授『歴史学のスタイル』

<立ちはだかる「根源的な無思想の」壁>と見出しがついてる。評者は野口武彦

大菩薩峠』は二回も読んだから(失業すると長編が読める)、大菩薩峠論みたいなものには一応目を通

したりする。

大菩薩峠論は、1950年代は「土俗」、1970代は「民衆」、1990年代は「ユートピア」と各世代に固有のキ

ーワードで展開されたとある。そうかも知らん。

本書では「帝国」をキーにしているそうだ。

「永遠に明治を迎えない幕末の時間が内側に折れ込んで密度を高める一方で、作者の属する時間は満州

変から日米開戦へと日本の「帝国」が膨張の頂点を極めようとしていた時代」という「物語内時間と執筆

時間との極端な不均衡」をキーに論を進めてるらしい。

「あらゆる『大菩薩峠』論の試練は、理論のハーケンを打ち込めばぼろぼろに崩れる日本社会の<無思想

>との直面である。」が評者の言いたいことらしい。

堀田善衛は『大菩薩峠』を「人民自体の音なしの構え」と書いたとあった。


ん?こんなんが出てる。『自転車依存症』白鳥和也

<愛好者は何かと過剰でとある>と見出しが・・・old boll boyさんに教えてあげよう。(^・^)

そんなんです。