競 馬

昨日、ディック・フランスの競馬をテーマにした本の話を書いたけど、日本の小説にも競馬を題材にした

ええ小説があります。

織田作之助の『競馬』です。

この『競馬』については、ダンデー批評の第一人者と噂の【大ざえもん】さんが、熱い文章を書いてはり

ます。→http://blogs.yahoo.co.jp/daizaemon115710/5760279.html


妻が結婚する前につきあっていたと思われる男と競馬場で出会い、子供じみた意地の張り合いみたいに、

同じ番号の馬に金をつっこみ続けるなんて、面白ろうて悲しいってやつです。


「一代は急に、噛(か)んで、噛んで! と叫(さけ)んだ。下腹の苦痛を忘れるために、肩を噛んでも

らいたいのだろう。寺田はガブリと一代の肩にかぶりついた。かつては豊満な脂肪(しぼう)で柔かった

肩も今は痛々しいくらい痩せて、寺田は気の遠くなるほど悲しかったが、一代ももう寺田に肩を噛まれな

がら昔(むかし)の喜びはなく、痛い痛いと泣く声にも情痴の響(ひび)きはなかった。」なんていう描

写は実体験からきてるのかは知らないですが、やはり胸が苦しくなったりします。


『競馬』は青空文庫でも読めますが、講談社の文芸文庫もあるようです。

この講談社文芸文庫には、織田作の『大阪論』が入っていてええです。

「物ないし金とは、象徴にまで高められた現実であり、ある種の神聖な観念であり、しかも、それは物的

偶像崇拝ではなくて、倫理的なもの」であるという。下世話な拝金主義からほど遠い地点で、物や金を

媒介として、客観的・禁欲的な人生の尺度とし、根本的な美学原理へ高める。それは貪欲を装う無欲であ

り、現実への拘泥を装う理想主義である。」と織田作は大阪の「欲」を分析してます。

儲けてなんぼ!ガメツイ大阪というふうに思われている大阪像とは違う大阪を書いてます。

これを読んだら、織田作之助という作家が大阪を代表する作家ということが納得できると思います。


織田作之助については、坪内祐三が興味深いことを書いてますので引いてみます。


・・・織田作之助は、梶井基次郎の叙情と東京出身の高見順の叙情の違いを比較している。つまり梶井の

叙情には、「耳かきですくうほどの女々しい感情も見当たら」ず、その叙情の底には「不逞不逞しいばか

りの勁さ」が「根強く流れている」のに対して、高見順のそれは、「まわりくどい女々しい」叙情であ

り、その違いは「梶井氏が大阪の人であった」から「驚くべき逞しい健康な生活意慾をもっていた」こと

に由来する。・・・(『まぼろしの大阪』坪内祐三より)


高見順はほとんど読んでないのでわからないですが、織田作の梶井観は納得できるように思います。


また織田作之助自身について、友人で作家の青山光二はこんなことを言っているらしい。

・・・織田作と太宰を比較して、共に無頼死した二人であるが、「本当に死にたがっていた」太宰に対し

て、織田作は「不思議と死に対する恐怖がないし、自分が死ぬとも思ってなかった」と語ってい

た。・・・(『まぼろしの大阪』坪内祐三より)


梶井基次郎についてもダンデー【大ざえもん】さんが詳しいです。いろんな記事を書いてはります。

私のお勧めは『岩石岩次郎』→http://blogs.yahoo.co.jp/daizaemon115710/17750085.html


織田作之助については【負荷】さんがネットで鑑賞できる作品をリストアップされてはります。ありがた

いのです。m(__)m

『永久保存版 織田作之助』→http://blogs.yahoo.co.jp/rrrdx928/33259203.html

併せて【負荷】さんの『アナルを手に入れるんだ』も読んだら面白いと思います。

『アナルを手に入れるんだ』→http://blogs.yahoo.co.jp/rrrdx928/32156622.html


そんなんでした。