金売り屋の男
Vシネマに『難波金融伝・ミナミの帝王』がある。
原作は漫画ゴラク連載のコミック。主人公の萬田銀次郎を竹内力が演じている。
他地区は知らないが、大阪では人気なのか読売TVで日曜の午後にけっこう放映している。
それほど面白いとは思わない。
もっと言うと、青木雄二の『ナニワ金融道』。
『ミナミの帝王』よりは胡散臭さがありその分だけ面白いと思う。けど、それだけの感想しかない。
青木雄二は、資本家=金持ちと理解している節がある。それなら、青木が絶賛するマルクスも『資本論』
も永遠に生まれることもなかっただろうと思う。
金融の手法や裏を描いたとしても、それはそんだけのことで他の商売でもあることに過ぎない。
扱っている題材が「金」だというだけのこと。
萬田銀次郎とおなじような「街金」経営者の男がいる。
こっちが友人と思っているだけで、向こうがどう思っているかはわからん。
ここで書くことは、全ての金融業者がそうだという話ではもちろんない。これは確認しておく。
「オレは金を貸しているのではない。普通より割高で金を売っているだけや」が男の口癖。
しかし、男のところには「金を借してくれ」といって来る人間ばかりだ。
ここから間違っているのだ、と言う。
だから、男は「金」をその人間に売っていいかどうかを判断する。
判断の材料は全てだ。相手の全てを金に換算して判断する。
男がいちばん信用しないものは「言葉」。
では、金に換算されないものを判断材料にしないかというと、そうでもないようだ。
言葉は信用しないが、この男なら大丈夫という何かがあるらしい。
彼は、言葉を使ってそれを説明する事はないし、チェックリストに出来るものでもないらしい。
どちらにしろ、彼は汚い仕事をしてるわけではないが、汚いものを毎日見続けている。
だけど、汚れた手を洗ってからキレイキレイな世界に戻っていけるほどアホではない。
嫁も持たずとうぜん子供もいないし、引退して喉かな田舎暮らしなんていう発想もない。
いつまでも、そこに縛りつけられているような感じさえする。
いつも目が悲しい。
詩人という存在がなんなのかはさっぱりわからん。
けど、詩集を出版した人という意味ではないことぐらいはわかる。
奴は、相手が吐いた言葉でなくて、言葉にしなかったものを変換し続けるような作業を毎日やっている。
私はときどき詩人ってこんな風かも知らんなあと思うことがある。
そんだけ。